生と死の狭間にある場所:『天鳥船(あめのとりふね)』を読む

ジョヴァンナです。こんにちは!

先日発売された伊藤潤二先生のマンガ『人間失格』2巻を読みました。なんと、主人公・葉蔵の「臨死体験」に丸々2話を割いていました。これは原作にはないオリジナルのエピソードであります。

葉蔵の独白によれば、体内に「禍(わざわい)の塊(かたまり)」が10ケ詰まっていて、その塊を吐き出しさえすれば極楽へ行けるのだそうです。

読了して「なんのこっちゃ」と思いました。

 

人間失格(2) (ビッグコミックス)

人間失格(2) (ビッグコミックス)

 

盟友・えむ(@mnb_yx)さんに言わせると、「あれは伊藤先生の死生観が反映していると思う。『ブラックパラドクス』という作品にも似たような球のイメージは登場してるよ」

ブラックパラドクス (ビッグコミックス)

これは難解だ。

球体=魂の一部じゃないかと思うんだけど、詳しい考察は次回のツイキャスに譲るとして、今日はその前段。

同じように臨死体験を描いた、別のマンガ家による作品を紹介していきます。

山岸凉子・著『天鳥船』のあらすじ《ネタバレ》

この作品は山岸凉子先生が1990年に発表した40ページの短編です。

『自選作品集 タイムスリップ』表紙より『天鳥船』山岸凉子(文春文庫)

『自選作品集 タイムスリップ』表紙より『天鳥船』山岸凉子(文春文庫)より


志望校に落ち、ガールフレンドをライバルに奪われて将来を悲観した少年・和也は、山中で自殺を図ります。ところが気が変わって山を下りる途中で足を滑らせ、崖から転落。気がつくと、左足を怪我した状態で見知らぬ老人の家に保護されていました。

老人は薬をくれ「家には連絡してあるから、よく休むように」と勧めます。そばにはお世話係の物言わぬ少女が1人。山の中だというのにお客の多い不思議な家でした。

『自選作品集 タイムスリップ』より『天鳥船』山岸凉子(文春文庫)p22


数日が過ぎ、なぜ家族が迎えに来ないのか、本当に連絡をしてくれているのか。和也は不信感を募らせます。部屋を抜け出すと、大勢の人々が列をなして別の建物へと続いていました。和也もその列に並びドアをくぐり抜けると、あれほど並んでいた人が1人も室内にはおりません。

広い部屋の中に大きなベージュ色した円柱が立っていました。

触ると、瞬間的にぞっとして飛びのいてしまいました。その場に留まっていると、列の後ろに並んでいた男性が進んできて、柱の中へとめり込み姿を消しました。絶叫して気を失う和也。

「知らなければこのまま帰してやろうと思っていたのに。しかたがない。ついておいで」

老人は和也を円柱の上に案内します。柱の内部では暗く渦巻く中に無数の光が巻き込まれ、輝いていました。

「何です、あれは」

卒倒しそうになりながら、和也は尋ねます。

「あれはハクというのだよ。きみたちの言葉でいえば魂というのさ」

 

老人曰く、生命は二つのもので成り立っている。一つは肉体、一つはハク(魂)。肉体が滅びるとハクは抜け出して、また別の肉体へと移っていく。ハクそれ自体は何の意志も持たないただのエネルギー体に過ぎない。だからおなじ人間が何度も生まれ変わるというわけではない。

『自選作品集 タイムスリップ』より『天鳥船』山岸凉子(文春文庫)p37

老人はイワクスクネと名乗ります。(『古事記』に登場する鳥之岩楠船神のことか。)円柱の正体は、死者の魂をあの世へと運ぶ「天鳥船(あめのとりふね)」でした。

山岸作品の「ハク」とは何か?

この話で言うところの「天鳥船」や「イワクスクネ」が何に基づいて描かれたものであるのか、出典の記載がないのでよくわかりません。『古事記』『日本書記』にちょっとだけ出てくるのを膨らませて書いているのかもしれないし、何か他の古典に根拠があるのかもしれない。

ハクは魂魄(こんぱく)の魄(はく)かと思って調べたら、どうもちがうみたいです。漢和辞典には、

魂魄:ともに人のたましいを表すが、生前においては人の精神をつかさどるのが「魂」、人の肉体や形質をつかさどるのが「魄」とされる。また人の死に際しては、「魂」は上昇して天に帰し、「魄」は屍が地下に埋葬されるのにともなって地に帰すると考えられた。

『漢辞海』第三版p1608

とありました。(国語辞典にも大体同じ説明が書いてある。)

イワクスクネはハクは天に帰ると説明しているので、やはり「魂」の方に近いでしょう。漢字を輸入したときに「魂魄」の概念もいっしょに入ってきたのだけれど、魂と魄とがごっちゃになって古代人に理解されたのか。あるいは、元々わが国にあった「たましい」の概念に「魄」の字を当てたのか、いずれかだろうと思う。

山岸先生は明らかに「魄」の意味を知っていて、あえてカタカナで表記しているのだと思います。

 

「魂魄」の概念があるのは、漢字圏内にとどまりません。古代エジプトにも似たような概念があったらしい。やはり山岸先生が『ツタンカーメン』という作品に描いています。

死ぬと、あの世に行く魂は「バー」。(鳥の姿で表現される。)

もう一つ、この世に留まり肉体の再生を持つ魂が「カー」。それゆえに古代エジプト人はミイラを作って、カーがもう一度肉体に宿るのを待ったのです。(『ツタンカーメン』潮出版社 2巻p50)

『ツタンカーメン』の中ではあの世に飛んで行く「バー」は電気的なエネルギー体として、この世に留まる「カー」の方が精神活動や自我を司るものとして説明されています。この頁は1995年に発表されたもので、『天鳥船』に描かれている絵と近い。山岸先生の死生観を反映したものだと思う。

『天鳥船』では、あの世に向かうのは電気的なエネルギー体の「ハク」。この世に留まるのは肉体だけ。その人の自我は「天鳥船」を通るときに消滅するので、次の生でよみがえるときには別の人になっているという死生観が示されています。

一回限りの「生」の貴重さを強調する作品になっています。

『天鳥船』を読んだ私の感想 

今回『天鳥船』を改めて読み返して、これは奥が深い話だなあと思いました。

人の「魂」の正体とは、電気エネルギー体なのか……?

「私が私である」という自我や自己同一性は「魂」とは別にあって、肉体に保存されるもの。一回きりのアウラのような、一瞬の輝き。

山岸説を取るならそんなふうに考えられます。(思想自体は中国の影響を受けているようにも思われる。)私がこれまで考えていた「魂」の捉え方と違いました。

不思議なのは、古代エジプトの死生観がどのようにして中国に伝わったのかということです。魂が二種類あるという考え方は驚くほど似ている。文字の伝播を辿る限りでは、エジプト文字と漢字は全く影響しあっていないのだが、言語の系統はまた別なんだろうし。どこかで関係があるのかもしれません。

死生観というのは考えても結論の出しようがない。だからこそおもしろいし、それぞれの土地で、風土に合った宗教が作り出されてきたのでしょう。

 

山岸先生が神話をモチーフにした作品を数多く描いていらっしゃるわけが、わかったような気がします。宗教として洗練される前の、古代人の素朴な死生観をある時期ずっと考えていらっしゃったんじゃないかな。

 

短編作品『天鳥船』は、文春文庫の『タイムスリップ』と『山岸凉子スペシャルセレクション2 汐の声』に収録されています。

タイムスリップ (文春文庫―ビジュアル版)

タイムスリップ (文春文庫―ビジュアル版)

 
汐の声 (山岸凉子スペシャルセレクション 2)

汐の声 (山岸凉子スペシャルセレクション 2)