なにか新しいこと日記

都内で働く30代キャリアウーマンが新しいことにトライしてみた日々の記録。

『はだしのゲン』作者・中沢啓治先生の自伝と出会う

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ジョヴァンナです、こんにちは。

7月の時点で今年はバカに暑いと感じ、今年は長めにお盆休みを取りました。特にどこも行きません。普段ほとんど自宅でゆっくりする時間がないので、思う存分のんびり過ごしたいと思います。

 

大人の夏休みを迎えるにあたり、図書館で何冊か本を借りてきました。いろいろ読みたいものがあった中で、まず最初に手にとったのが中沢啓治著『はだしのゲン わたしの遺書』です。

はだしのゲン わたしの遺書

はだしのゲン わたしの遺書

 

 2012年12月に亡くなられた中沢先生が死の直前にご自身の生涯を振り返り、1冊にまとめた自伝です。子ども向けの本のコーナーに並んでいましたが、私は、むしろこの本は大人にも読んで欲しい本だと思います。

 

私と『はだしのゲン』

『はだしのゲン』はどこの図書館にもある国民的名作と言えます。小学校の図書室で手に取った方も多いのではないでしょうか。

私は大の図書館好き、マンガも大好きな子どもでしたが実はこの作品を読んだことはありません。それには訳があります。

小学1年だったか2年の夏にテレビで放映された『はだしのゲン』アニメの原爆投下シーンを見て、あまりの凄惨さに夜も眠れなくなってしまったのです。

辺りがピカッと光って爆風と共に、一般市民がドロリと溶けたように崩れ落ち、亡くなるシーンがありました。地面には人の形に焼き付けられた跡だけが残って……。

 

戦争や死の概念すらハッキリと理解していなかった幼な心に、人の魂までも焼き尽くし尊厳を奪い去る「原爆」のむごさが、ビジュアルで瞬時に入ってきました。あまりにもショックで、半年以上の間日中ひとりになったときや寝る前には必ず思い出してしまい、布団の中で毎晩泣いていました。

最終的には「また、日本に原爆が落とされることはあるのか?」「お父さんや他の家族は私より先に死んでしまうのか」など、心配していることを父親に話して、不安解消されるまで心安らかに眠れませんでした。(小学校低学年の子どもにも理解できるよう、核戦争のリスクについて説明してくれた父には感謝しています。父は誤魔化すことなくきちんと教えてくれました。)

 

それから『はだしのゲン』という作品の偉大さは理解しつつも、原爆のシーンがトラウマになってしまってどうしても手に取る勇気が出せませんでした。アニメの方も途中までは親と一緒に観た記憶がありますが、原爆のシーン以降は一切観ていません。

 

その後、私は親の都合で小学校をいくつも転校しました。ある小学校では学級文庫があり、マンガもあったし図書室に新しい本が入ると順繰りに回ってきて、借りることができました。その中に、一般市民が書いた戦争中の体験記がありました。子どもが読めるようにルビがふられ、テーマごとに編まれた全部で10冊ほどのハードカバーのシリーズだったように思います。

タイトルや解説文にあったであろう出版のいきさつなどは覚えていません。多くは子どもの頃の経験を思い出して書いた話で、当時4~5年生になっていた私にも理解しやすかった。疎開先でいじめられた話や、ひもじくてひもじくて、たまに手に入った食糧で何を食べた……なんて話が多かったように思います。

あの本をもう一度読みたいと思って図書館に探しに行きました。そこで、中沢先生の自伝と出会いました。求めていた本は探し当てられませんでしたが、この『はだしのゲン わたしの遺書』はマンガではなく活字が主体の本であるし、大人になった今なら目を逸らさずに読めるかもしれないと思った。

 

『はだしのゲン 私の遺書』の紹介

テキストで書かれた中沢先生の生涯の記録に、先生の体験を元に描かれた『はだしのゲン』のシーンを挟み込みながらお話は進んでいきます。

 

6人家族だった先生のご家族1人1人のエピソード。

原爆の日、家に忘れ物をし、学校から家に戻る途中で偶然会った近所のおばさんに話しかけられ、そのためにギリギリのところで熱風を逃れ命が助かったこと。

母親も全くの偶然により命が助かり、家族と共に火に包まれようとするところを、近所の人から無理矢理に引きはがされて逃げてきたこと。

瀕死の人々がむごい有り様でさ迷う町の地獄絵図……。

 

『はだしのゲン』は凄惨なシーンをリアルに描いたことで有名ですが、それでも、中沢先生はかなり表現をゆるめ、甘い描き方をしたと言っています。

この本の中で中沢先生が淡々と描写する情景は文字で見るだけでも息が詰まり、途中休みながらでなければとても読み続けることができませんでした。

 

そのどれもが、6歳の中沢少年が現実に見た光景です。

中沢先生は『はだしのゲン』に対して仲間のマンガ家からも「子どもの情操によくない」と強い批判を受けたそうです。しかし、これは架空の出来事ではありません。我が国に実際にあったことを描いているわけだから、“本当のことを、子どもに見せなくては意味がないのだ”と先生が信念を持って描き続けたことが、本に記されていました。

 漫画で原爆を表現できたのは、ぼくの年代が最年少でしょうね。もし二十歳で被爆していたら、とらえ方がまったくちがっていたでしょう。もっと小さかったら、原爆の記憶も断片的だったでしょう。

 六歳だったぼくは、おこったことをありのまま、フィルムのように脳裏に焼き付けました。小学一年で被爆したことが『はだしのゲン』を産んだのだと思います。

『はだしのゲン わたしの遺書』P211

絵を描くためには、「見たものをそのまま脳裏に焼き付ける」能力が必須だと思います。中沢先生には天与の才能があったことと、年齢的にもたまたまタイミングが合致したことにより、「マンガによって、体験を人に伝える」ことをご自分の使命として捉えていらっしゃったことが、ここの部分からうかがえます。

 

中沢先生は被爆から2年後、8歳で手塚治虫の『新宝島』を読んでマンガ家を志し、22歳のときに上京してアシスタント生活を始めます。上京当初は“原爆のことは忘れたい、被爆したことは人に言うまい”と思い、マンガにも描いたことはなかったそうです。

ところが27歳になって、母親の死をキッカケに押し殺していた怒りが爆発します。母の弔い合戦として、マンガで原爆問題を徹底的に追及していくと決め、被爆者を主人公に描いた第一作目『黒い雨にうたれて』を完成なさいました。あちこちの編集部に持ち込みますがこの作品は反米色が強いということで大手の出版社からは敬遠され、しばらくの間発表する機会がありませんでした。2年後、改めて読み返してみて、どんな小さな出版社でもいいからとにかく発表して世に問いたいと思い立ち、また方々に持ち込みを再開します。

その時引き受けてくれたのが芳文社の『漫画パンチ』平田昌平編集長でした。平田編集長のもとで、生き残った被爆者たちの生活を描いたシリーズを次々に発表することができました。その後紆余曲折あって、創刊されたばかりの『週刊少年ジャンプ』にも原爆のマンガを描きます。

1973年に同誌で『はだしのゲン』連載開始。オイルショックによって未完のまま一時中断しますが、朝日新聞の横田喬記者がやって来て「このまま埋もらせてはいけない」“なんとか『はだしのゲン』を単行本化して、その経過を、記事として朝日新聞にのせたい”と言ったそうです。

ちなみに集英社の上層部は“読み捨ての雑誌にのせるのはいいが、単行本として出すとなると、社名に傷がつく”と言ったとか言わないとか……。(p186)

『はだしのゲン』ほど多くの読者に支持されながら出版までに苦労した作品は、珍しいのではないでしょうか。

横田記者が来なければ単行本化、その後の連載再開、実写映画やアニメーションが制作されることもなかったかもしれません。

 

Wikipediaを見ますと、『少年ジャンプ』に掲載されていた第一部は今日汐文社の愛蔵版で読める1~4巻まで。休載から1年後の連載再開から10年かけて3誌を渡り歩き、やっと完結した第二部は5~10巻に収録されているそうです。(その後の第三部では、ゲンの東京での生活や、絵描きを目指してフランスに渡り原発問題を考えていくことなど構想していたそうですが、白内障のため70歳で断筆されたことが本に記されています。ただし、1986〜2009年までのおよそ20年間について、巻末の年表には空白の期間があります。)

 

私はこの自伝を読んで、中沢先生がそうまで苦労して描き続けられた大作を、やはり読み継がなければ……と思いました。今なら私はもう大人だから、どんなにつらくても、この作品を受け取ることができるように思います。あとは、少しの勇気と、10巻を読み切る時間と集中力さえあれば。

 

大切に読みたい作品です。

あなたは『はだしのゲン』を読んだことがありますか?

 

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はだしのゲン

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