なにか新しいこと日記

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悲しみの100パーセント

今日は悲しい話をするので、そんなもの読みたくないって人はどうか回れ右してください。

 

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私が26の時、弟が事故で脳の一部を失うことになった。

私はその頃OLをしていて夕方何気なくケータイを見たらその重大な知らせが届いていたのだった。
「Kが◯◯で事故に遭って、重体だって」
母からだった。

すぐに自宅に電話をしたが話し中で一向に通じることはなく、とりあえず帰ることにした。

(一体、◯◯で何があった? どんなケガをしたのか、命は助かるのか……。)
何もわからぬまま、電車に飛び乗り60kmの道のりを帰った。何年も通った路線で、この時初めてグリーン車を利用した。心臓がバクバクして、着席したところでまっすぐ座っていることはできなかった。額の汗をハンカチで拭いながら、身を屈めていた。

「お客様、大丈夫ですか?」
途中グリーンアテンダントに声をかけられたが、ぶるぶる震えながら「大丈夫です……」と答えるのみだった。

この日、メッセージを見てから容体を知るまでの何もわからない時間が一番きつかった。あれから十年近く経った今でも、家族からメッセージが届くと一瞬嫌な気がする。

 

弟は飛行機でバンコクの病院に運ばれ、命が助かったものの意識は混濁しており、先の見通しは暗かった。

朝目覚めるたびに暗い気持ちになった。
会社には報告しなかった。
同僚のみきちゃんと親しい先輩にだけ事情を話して、休まずに出勤し続けた。皆から表立って心配されたり同情の言葉を掛けられたりしたら、心が耐えられないと思った。

みきちゃんが普段通り接してくれるのが救いだった。

 

「Kがね、少し意識を取り戻したみたい。これから飛行機で日本の病院に運ぶの」
他の人に聞こえないところにみきちゃんを呼んで報告したら、みきちゃんの目からポロッと涙がこぼれた。
「うっ、泣いちゃってごめん。良かった、良かったね……」

私は心がフリーズしてしまって最早泣けなかったから、みきちゃんが代わりに泣いてくれたことがうれしかった。小さく「ありがとう」って言った。

 

私は親より先に逝ってはいけない。Kが大ケガしてるのに、私までケガすることは許されない。横断歩道を待つときに一歩下がるようになったし、電車を待つときも前より気をつけるようになった。ケガしないように、危ないことは絶対しないように。親がいなくなった後も一人でKの面倒を見なくちゃって……。
追い詰められた気持ちで、何年も暮らした。

 

幸いにしてKに身体障害は残らず、食事・トイレ・入浴などの日常的な基本動作が自分でできるのは不幸中の幸いだった。
しかし、知能には重大な支障を来しており、無事とは到底言えない。私の親は50代にして大変な苦労を背負いこむことになった。
同居して親の苦労を目の当たりにしている私もつらかった。

 

実家から資格学校に通うようになったある日のこと。普段は自転車で行く駅までの道を遅刻してバスで行くことにした。午後からの授業に間に合うように、昼間のガラガラのバスに乗っていた。

信号待ちしているバスの前を近所の高校の制服を着た男子高校生が二人、仲良さそうに並んで横切った。

 

私の弟にもあんな頃があって、あの頃は元気だったのに……。
そう思ったら、自然と涙がこぼれた。
フリーズしていた心が溶け出したみたいに、突然に深い悲しみを感じた。

 

怒りや嘆き、悔しさ、様々な不安に耐えること。あらゆるネガティブな感情に翻弄される日々の中で、純粋な悲しみだけは感じることを忘れていたことに気づいた。

 

悲しみを100パーセント味わったら、心が壊れてしまうんじゃないかと恐れていた。
だから悲しくないフリをしていた。

でも、やっぱりこれは悲しいことなんだ。
私はもっと悲しんでもいいんだと気づいた。

 

ひととき深く悲しんだ後、バスを降りる頃には涙を拭いて、元通り日常に戻っていった。

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学校を卒業して再就職した。それから実家を出て、東京で仕事するようになった。勤め先がなくなったのを機に独立して二年が経つ。

 

今も、私は悲しみを感じるより先に心がシャッターを下ろしてしまい、何も感じないフリをしてやり過ごすクセがある。
悲しみを100パーセント受け入れたら心が耐えられないんじゃないかと心配なのだ。心臓が破れて、バラバラになって、発狂するんじゃないかと恐れている。

 

そんなのはおかしい、理屈の通らない妄想だってわかっている。わかっているけど、これは弟のこととは関係なく私が子どもの頃から持っている気質である。

 

でも……私ももう充分過ぎるほど大人になったから。そろそろ受け入れようと思う。

 

やっと私の人生で悲しみを受け入れる準備ができた。心臓が破れそうになっても、本当の人生を味わった方がいい。
本物の悲しみを100パーセント感じること。滂沱の涙をながすこと。
膝をついて、もう立ち上がれないってぐらい泣いても大丈夫。立ち上がれなかったらしばらく伏していたっていい。涙が枯れるまで泣き続けたらいい。

 

30過ぎて実家を出たとき「ああ、これで私の本当の人生が始まるんだ」って思ったけど、そうじゃなかった。自分の身に起きたことを100パーセント受け入れない限り、本当に人生を味わっていることにならないと、最近思うようになった。

きっとこれからも心のシャッターをあげたり下げたりして、人生に立ち向かっていくんだろう。人それぞれ、好きなスピードで物事を考えたり受け入れたりすればいいし、そうするしかない。
私は、ゆっくり悲しみを受け入れようと思う。

 

もうすぐ新しい年が来るね。あなたの新年がよろこび多きものでありますように。
ここまで読んでくださってありがとう。拙い小説にお付き合いくださり、感謝します。