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なにか新しいこと日記

都内で働く30代キャリアウーマンが新しいことにトライしてみた日々の記録。

【現代の肖像】漫画家・山岸凉子を読む。

ジョヴァンナです。今日はまたマンガのお話。

『AERA』2016年12月12日号の『現代の肖像』で山岸凉子先生が取り上げられた回を読みました。

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 『AERA』2016年12月12日号より

 掲載情報はこちらのサイトで知りました。

山岸凉子のカテゴライズの夜は更けて… 

管理者様、いつもありがとうございます!

 

年末忙しくて一読したきりでしたが、じっくり読んでみるとすばらしい記事でした。ファンとしては永久保存版じゃないかと思います。Kindle版がなくて残念!

 【目次】

 

山岸凉子を育てた家族

1947年北海道生まれ、北海道育ち。後に「花の24年組」と呼ばれるマンガ家のうちの一人、山岸凉子先生の生い立ちが紹介されています。

 

父親は三井鉱山に勤めるサラリーマン。母は専業主婦で、山岸先生に対し「それではお嫁に行けない」と叱るのが口癖だったそうです。優等生の兄と母が理想とする妹に挟まれ、随分肩身が狭かったとか。度々作品に登場する厳しい母親像や、優秀な姉にコンプレックスを持つ妹という姉妹関係(山岸先生と妹さんの関係を逆転)に、この生い立ちが反映されているようです。

 

記事を読むと、山岸先生は家庭では理解されずひどい目に遭ってらしたんだなーと気の毒になってしまいました。当時としてはよくあることかもしれないけど「結婚しなさい」なんて価値観の押し付けだと思うし、私はイヤだな。

でも、そうした苦しみや葛藤も、先生はきっと後の創作の原動力に変えて前進されたのでしょう。

故キャリー・フィッシャーの言葉「傷ついた心をアートに変えよう」を、山岸先生も体現されたのだと思います。

 

デビュー前夜

『はいからさんが通る』新装版での大和和紀先生との対談でおっしゃっていた通り、山岸先生はデビュー前はなかなか認められず苦労されたそうです。

大和和紀画業50周年企画・山岸凉子先生とのスペシャル対談を読みました。 - なにか新しいこと日記

 

OLとして働く傍ら、上京して原稿を売り込みに回った2度目のとき。ある編集者から「このままお勤めを続けるほうがいいですよ」と言われたそうです。

茫然としたものの、気を取り直して同じ階にあった『別冊りぼん』の編集部に立ち寄り、秋山紀夫という編集者と出会ったことが山岸先生の運命を拓きます。

この方の励ましがなければ、もしかして先生はマンガをあきらめてしまったんじゃないでしょうか…。そのぐらい、がっくりくるようなキツーイひと言ですよね!

 

翌年「死ぬほど妥協しまくって」絵柄を変え、当時人気だったスポ根漫画を描いてデビューしたのが21歳の時。

 

高校時代からマンガ家を志した山岸先生は「10代を過ぎたらもうデビューできないと焦燥感を募らせ、誕生日が来るごとに自分を呪った」とあります。

里中満智子先生以来、10代でデビューするのは普通のことだったそうです。21歳で将来を決めるのは早い方じゃないかと思うのですが、当時としてはそういうふうに思われたそうです。

 

ターニングポイントとなった作品

『日出処の天子』では男性の同性愛を耽美的に描いた山岸先生ですが、47歳でスランプに陥ったそうです。

 

ある出来事があって、これまで創作の源であった男同士の愛が頭の中からきれいさっぱり消えてしまった。美しい男の顔が描けなくなった。一番大事な感覚が失われるという絶望感の中で、3年間苦しんだ。

 

その出来事とはどんなことだったのか、記事には書いていません。

ファンとしてはとても気になる!

もしかして…画集の解説とかに書いてあったりするのかな?

 

その後『鬼』を描いたときに、ずっとわだかまっていた亡き母親との確執が解けていくのを感じたそうです。

鬼 (潮漫画文庫)

この作品のテーマは、「赦し」。

人を許せば自分も救われる。これ、私のことだと気づいたんですね。

そうして、スランプの日々に「かすかな光が見えた」と記事には書いてあります。

 

『青青の時代』の連載終盤では、失ってしまったあの感覚に代わる新しい創作の源を発見することができた。53歳になっていた。それは何かと問うと、山岸は笑って答えなかった。

これも、一体なんでしょうか。すごく、気になるところ。

 

青青(あお)の時代 (2) (潮漫画文庫)

 

一体どうして、創作の源が失われたのか?

新たに手に入れたインスピレーションの源は何か?

 仮説としてはいろいろ考えられますが、おもしろいのでちょっと寝かせて考えてみたいと思います。

 

 何か情報をお持ちの方がいらっしゃったらぜひコメントなり、ご連絡くださるとうれしいです。

 

『現代の肖像』によると、最も苦しんだスランプ時期がおそらく1994~1996年の3年間。『青青の時代』の連載終了が2000年2月のため、1999年末頃まで創作の源泉を失った状態でいくつもの作品を描かれていたことがわかります。

 

前述の『山岸凉子のカテゴライズの夜は更けて…』にある作品リストを参照すると、このスランプ期やその後に私の好きな作品が集中して描かれていました。
以前に別のエントリーでも紹介した『ツタンカーメン』『白眼子』『舞姫』など…。

もしかしたら、この転換期に「女性」の描き方が変わっているのかもしれない。これらの作品で山岸先生は、志を持って、清廉に、ひたむきに生きる少女を描かれています。そこに私は共鳴しているんじゃないかって感じる。仮説ですが。

 

AERA掲載情報まとめ

『現代の肖像』では3段組、4ページに渡って山岸先生のマンガ家人生が紹介されています。記事を書かれたのは島崎今日子さん。

 

トップページは生原稿を写した写真の掲載のみで、本人の肖像写真はありません。バレエ教室で正体を知られたくないため、取材では顔を出さないことにしたそうです。

どうしてもお顔を拝見したいという方は、ちょっと古いですが『怪談之怪之怪談』をご覧になるといいですよ!

 

 このエントリーでは要点のみをいいとこ取りして紹介しましたが、非常におもしろい記事なので、興味を持った方はこの号を取り寄せて読んでみてください。

 

 

AERA(アエラ) 2016年 12/12 号 [雑誌]

AERA(アエラ) 2016年 12/12 号 [雑誌]