【BL漫画】『窮鼠はチーズの夢を見る』を考察する

ある日タイムラインに流れてきたBLマンガにどハマりしてしまい、しばらくBLに耽溺していた。

BLとは男同士のラブロマンスだ。大体どエロいシーンがあるが、エロはメインではなく、情熱を表現するためのエッセンスに過ぎない(と思う。)

BLとは甘美なもの。読み手の後ろ暗いファンタジーを刺激するためのものだ。

早く続きが読みたいのになかなか更新されず、似たような作品はないかと「リーマン、BL」のキーワードで検索してあれこれ読んだが、似たようなものなどないのだった。
このジャンルはあまりにも嗜癖が細分化されている。同じ作者、同じ作品でしか、私が求めるファンタジーを描くことはできないのだ。たぶん。
仕方がないので作者のTwitterを毎日見に行って、次回の更新をまだかまだかと待ち望んでいる。

 

そんなことを友人に話したら、水城せとな先生の『窮鼠はチーズの夢を見る』を勧められた。
水城せとな先生か……読んだことあるわ、『失恋ショコラティエ』を。
どんな作風かは、よく知っている。
正直、やっべーものを勧められたなと思った。
たとえるなら、悪魔のように魅力的で関わったら絶対に火傷するとわかっている男を紹介されたような気分である。

さて、『窮鼠』とはどういう話か。
簡単に言うと、30代サラリーマンが久しぶりに大学時代の後輩と再会したら、相手が一途に自分のことを思い続けるゲイであったことが判明し、戸惑いながらも恋に落ちる。
つまり、ノンケがゲイに落とされる話だ。

 

ここでちょっと気になるのが、主人公の大伴が自分は異性愛者だと思い込んでおり、同性愛を経験するまでに心理的抵抗があるのはわかるのだが、経験した後も「自分は異性愛者だから、男性を深く愛することはできない」とひたすら苦悩する点だ。
私に言わせれば、同性とのセックスを楽しめる時点でバイセクシャルの才能があるのだから、そんなことで悩む必要はないと思うのだが……。

人を愛するのに男とか女とか、関係ないだろう。
同性だろうが異性だろうが、あまりにも熱烈に愛されたとき、相手を同じ熱量で愛することができないなんて、どこにでもある話だ。

 

私自身、過去に熱愛されたときは「どうせ一時の熱情でしょ」と半ば冷めていた。
大伴と同じように、愛されれば絆されるし、人間だから情もわくものだ。それなりに相手に愛情を返したいと思いはするが、愛とはそもそも一方的なもの。同じだけの分量で返すなんて土台無理な話だ。
そこのところであきらめ切っていて、人を100パーセントまで信用しないのが私と大伴の決定的に違う点だ。

今ヶ瀬に愛された分だけ同じように愛してやりたいと願う大伴は、自分で思うより愛が深いと思う。
なので「異性愛者だから、同性愛者と同じようには男性を愛せない」という悩みは私には奇異に感じた。

 

10年前の作品だから、もしかして同性愛を特別視しているのかもしれない。
最近のBLを読んでいると、ノンケがバイセクシャルに転向したところで苦悩なんてしない。みんな、あっけらかんと楽しんでいる作品が多い。(=あくまでも、BLというジャンルの中での話だ。)

 

私には、大伴の気持ちにどうしても理解できないところがあり、引っかかりを感じた。
2人は何度も離れたりくっついたりして、結びつきを深めていくのだが……特に、結末の「よりを戻す」シーンが不可解だ。

今ヶ瀬は自ら離れていったくせに、再会したら燃え上がる気持ちを抑えきれず、再び愛を告白する。なだめたりすかしたり、愛人でもいい、体の関係がなくてもいいからいっしょにいたいと。
大伴の方も気持ちが残っていて、その証拠に、今ヶ瀬の灰皿を捨てずに取ってある。
それなのに、この場面での大伴の態度はひどく冷淡だ。突き放すし、なんと言われても頑として今ヶ瀬の思いに応えようとはしない。

「もう顔も見たくない、さようなら!」と言って今ヶ瀬が帰ろうとしたそのとき、急に態度を変え、強引にキスをして抱きすくめる。

 

なんでここはこうなっちゃっているのか……ミステリーだ。

気持ちを残したまま別れた2人だから、会えば、再燃するのは当たり前だ。それなのに、なんであんなにも強く拒否しなければならなかったのか?

 

ヒントはもう少し前のシーンにあった。

恋人だったし、好きだった。彼の幸せを願っていた。
「ダメじゃない(=いっしょにいたい)って言ってやるべきだった」と大伴は言った。

それなら、迎えに行けばよかったのに……。どこまでも受け身な人だから、別れ際でも自分から行動しようとせず、今ヶ瀬の意思に任せてしまったということか。
だから、今ヶ瀬が戻ってこようとしたとき、一度は拒まなければいけなかったのか。

たぶん、ここで一旦拒否して、自分から愛を求めるのが大伴にとって重要だったのだと思う。
最後の最後に、人に流されるのではなくて、自分で決断して今ヶ瀬を選びたい。「いっしょにやって行こう」と言わなければならなかった。
それが彼なりに「責任を取る」ということだったんだろう。

 

愛の形っていろいろだな……。
どんなに受け身っぽく見える男でも、最終的に愛をつかむには自分から行動する必要があるんだなと平凡な結論に至った。

 

なんだかんだ、ラブラブじゃないかよ!

大伴は愛という言葉を最後まで頑なに使わないが、「可愛い」という言葉で表現して、それがちゃんと今ヶ瀬に伝わっているところが良かった……救われた。

 

この作品は、私にとって少し引っかかる部分があったからこそ、理解できるまで何度も読んでしまい、まんまと沼に堕とされてしまった。
水城せとな……おそろしい人!!

 

紹介してくれたスズメ天狗。さんと、ツイキャスで私の考察に付き合ってくれたたぐちさんwith friendsに感謝したい。

 

〜ここから実写版の感想〜

実写版は大倉君が大伴のイメージじゃない……と思いつつも、プライムビデオでささーっと流し観た。

窮鼠はチーズの夢を見る

窮鼠はチーズの夢を見る

  • メディア: Prime Video
 

成田凌の今ヶ瀬はハマり役だった。
成田凌じゃなかったらどうなってたんだろう……。
ただの軽薄なロマンスになってたかも。

色気が凄かった。あとお尻が小さっ。今まで見たどのお尻より…………なんでもないです。

 

内容は原作2冊からエピソードをより抜いて、コンパクトにまとめられていた。
後半の重要なエピソードがざっくり端折られていたが、それはまあ仕方ない。

BLの性描写は情熱を表現するためのもので、徐々に交わりが濃厚になっていく様子、受けと攻め(=タチとネコ)の関係が逆転するところにもちゃんと意味があって描かれているのに、それらは端折られ、言葉少なに淡白に表現されていた。

濃密な情愛の表現を、成田凌の色気だけでカバーしている感じ。
(別にいいんだけど)

 

結末では、気持ちを残したまま2人が別れ、大伴が別の女と婚約した辺りで、今ヶ瀬がひっそりストーキングしていて大伴に気づかれていた。

今ヶ瀬が戻ろうとして、大伴が拒否して……のくだりは全部カット!

婚約者が帰った隙に逢引きして愛を確かめ合う最低な2人。←やってることはほぼおんなじだけど、圧倒的に言葉が少ない。
ただただ粘着質で、体づくで迫ってくる魔性の今ヶ瀬がそこにいた……!

〜実写版感想ここまで〜

 

ここまで長文を読んでくれた方おつかれさまでした。
よく読んでくれたな、同志よ。

 

BL趣味をとことん突きつめると、自分の中の深淵をのぞき見ることになり、スリリングだった……。

 

「いい小説を読んだり、いい映画を見たりした後、登場人物たちが今もあの世界で楽しんだり苦しんだりしているのに自分だけはもう二度と彼らに会えない寂しさが尾を引いて、しばらく余韻に苦しめられる」って、このあいだ、Twitterで外科医けいゆう先生が言っていた。(2021/5/1)

今ヶ瀬の熱情に心揺さぶられ、大伴の弱さ、人の信じなさに強く共感した後で、今まさにさびしい。

春の嵐のようだった。