なにか新しいこと日記

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春の別れ

桜
桜 / iyoupapa

 2017年3月25日、M先生の訃報が母から届いた。3月2日に転移ガンで入院していたこと、亡くなってから知った。

先生は私の実家の近所で整体院を営まれていた。もう10年来家族ぐるみでお世話になっている整体師だ。

 
 

先生の院ではインターフォンを鳴らすと奥様が応対される。ご自宅の居間に通されて世間話をしながら「調子はどう?」と先生が聞き、奥様がカルテに記入する。ひとしきり話が終わったら隣りの和室で施術となる。畳の上に有孔のベッドを置き、顔の部分にはタオルが敷いてある。

施術は、結構痛い。一般的なマッサージや指圧とはちょっと違う。筋肉を横断するように指を入れてリズミカルに圧をかけるような感じだ。

どんな症状でも全身を施術するらしい。私は肩が悪いので実家で暮らす頃に何度かお世話になった。

 

施術が終わると、居間に戻って奧様が淹れてくれたお茶をいただく。

先生は決まって窓を開け、うまそうにタバコをのまれる。

和室にも居間にも医学書やら健康情報の書籍が山積みになっているのに、どうしてもタバコはやめられないらしい。うまそうだけど、これが先生の寿命を削っているんじゃないかと内心気がかりだった。

 

私の母は体が弱く、あらゆる不定愁訴のデパートのような人だ。それでもM先生の整体院に通うようになって随分良くなった。

「M先生がこう言った」「M先生が…M先生が…」

実家にいる時に頻繁に聞いたセリフである。

 

ある冬の日、私の家族がひどい事故に遭って重体となったときも。その際、脳に受けたダメージによって深刻な精神障がいを得たときも。

M先生のサポートがなければ母は立ち直れなかっただろう。

 

どうして? どうして?

そこに答えはないのだから。

 

先生は施術だけではなく温かい励ましによって、患者の心までも救われた。

施術の間もずっと隣室におられる奥様との掛け合いで、おかしな話ばかりなさっていたことを思い出す。笑いの絶えない院だった。 

 

2011年3月11日。大地震が襲った日。

母と、高度障がい者である私の家族は無事だった。電話は通じないが何時間も遅延して届くメールによって、安全を確認することができた。

私は都内にいて帰宅困難者となり、当時在学中だった資格学校に宿泊をした。

 

自宅にいる家族はどうしてるんだろう?

 

心がザワザワしたが、ここで気を揉んでも仕方がない。一眠りして、土曜日の朝超満員の列車で帰った。

 

津波のことは数日間知らなかった。テレビを見てもガチガチ歯が鳴るばかりで情報が全く頭に入ってこないほどに、動揺していた。(1~2週間は恐ろしげな映像を見るに耐えず、テレビは常に消していた。)

 

自宅に帰ってから整体の予約をしていたことを思い出し、院に電話した。

「おお、こっちは影響ないから、どうする? 来たかったら来てもいいんだよ」

「じゃあ、予定通り伺います」

 

のんびり整体なんか受けているのが信じられないぐらい、全国的に人心が乱れ、重大な被害が各地で発生していたあの頃。(千葉県内にも津波が来ていたことをずっと後に知った。)

 いつも通りに施術を受けられることが奇跡のように感じた。

まだ、心がザワザワしていた。

 

東北はどうなってるのか。

一体どれだけ多くの人が亡くなったのか?

我々は障がい者を抱えて、女二人でこの難局を乗り切れるだろうか?

と、不安で息が詰まりそうだった。

(数日後に家族が発作で倒れ、我々は救急車に乗る騒ぎとなった。幸い大事なく2日間の入院ですぐに帰された。)

 

あの頃の異常な精神状態をハッキリ覚えている。

いつもとおんなじにM先生が院に迎え入れてくれて、どんなにほっとしたかも。

 

M整体院はいつもと変わらなかった。

「ビックリしたわねぇ!」奥さんが言い、

「ビックリしたなぁ」先生が言った。

「本当にビックリしました!」私も同意した。

 

施術が終わる頃には手足もポカポカして、精神的にもいくらか落ち着きを取り戻すことができた。温かいお茶が胃の腑にしみた。

 

そのように淡々と多くの人を救ってこられた先生。

亡くなるひと月前まで臨床に立っていたと聞いた。立派な治療家だった。

 

通夜にも参列したというのに、まだ全く実感はない。

斎場には大勢の患者が詰めかけていた。誰も実感がなさそうで、戸惑いながら先生の思い出話をめいめいに語っていた。

 

少し旅立つのが早かったが、そんな風に大勢の人に惜しまれて見送られるなんて、素晴らしい人生だと思う。

 

私もそのように生きたい。

 

M先生、さようなら。

私や家族にして下さったこと、一生忘れません。

有り難うございました。