なにか新しいこと日記

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高次脳の弟と過ごした冬の休日、なんでもない1日

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2022年1月某日。早起きして弟が暮らすグループホームを訪ねた。

弟は記憶がもたないので、当日、直前に連絡するしか方法がない。
グループホームに電話してお願いすればリマインドしてもらえるだろうが、入れ替わり立ち替わり職員が交代するようなところで、私のために余計な手間をかけさせるのは気が引けた。

朝から弟宛にメールしても電話をしても応答がない。
到着すると弟はベッドでテレビを見ていた。スマホは充電器につなぎっぱなしで気づかなかったという。どうせそんなことだろうと思い、早めに到着するようにして正解だった。

 

駅前のチェーンのイタリアンに連れて行ったら、うまくもないのに価格ばかり気取っているので腹が立った。これなら隣駅のファミレスでも行った方がアラカルトでいろいろ取りやすく、弟も喜んだだろう。箸が使えるのも利点のうちだ。

フォークを使わせると犬食いする様子を久しぶりに見て、ぎょっとした。1回に巻きつける量が多すぎて半分くらい口からはみ出している。
早めに来店し店内に人が少ないのは幸いだった。後からだんだん混んできたが。やんわりと注意して食事を続けた。

会計は当然私がもったのだが「ごちそうするよ」と言ってもいないうちから朗らかに「ごちそうさまでした!」と大声で言う調子の良さにはあきれ返った。

 

カラオケ店を探したが、近くの店はコロナ禍で閉業しており、しばらく歩くか電車に乗って3〜4つ隣の駅まで遠征しなければなかった。寒風吹きすさぶ中、弟を連れまわすのはよくないのであきらめ、次の機会へゆずった。

駅前のショッピングモールで広い本屋を冷やかし、マクドナルドでコーヒーを飲んだ。穏やかに時間は流れた。

弟はグループホームの生活で気を回すようになったのか、つじつまの合わない話を次々に繰り出すようになり、早起きとのコンボで私は少し疲れを感じた。

 

部屋に戻って、録画の『世にも奇妙な物語』をいっしょに観た。リモコンを使ってCMを飛ばすのだが、CM後の話まで少しスキップしても気づかずに平気で見ている。話の前後がかみ合わなくても気にしない。そりゃそうだ、記憶がないんだから。

弟が理解できるようにとストーリーを解説しながら観たが、どのくらい理解して楽しんだかわからない。

それでも休日の午後を共にリラックスして過ごせたと思う。

 

大体観終わって「じゃあ、おねえちゃんは帰りますね」と言ったら、弟は駅まで送るという。
「おねえちゃんが会いに来てくれて、話ができて、うれしかった」
「そりゃー良かったよ。また来るね!」
駅からグループホームまでの道順は覚えており1人で行き来できることがわかった。
街道沿いの道をとぼとぼと1人引き返していく姿を思うとさびしい気持ちがしたが、とにかく、元気でやっている様子を確認でき安心した。

 

その後、1人で実家に帰った。

主治医に見せるためにグループホームの人に書いてもらったという生活状況のレポートを、父が出して見せてくれた。
見事にろくでもないことばかり書かれており、笑うしかない……。

「職員に暴言を吐く」
「新人職員には見下した態度を取る」
「消耗品を自分で買おうとせず、スタッフからもらおうとしてしつこく言い募る」など30ほどの項目が列記されていたが、いいことは一つもない。悪事ばかりだ。

弟がどんなことを言ったか、具体的に書かれており、ほんとにしょーもないことばっかりやっているな。病気だから仕方ないけど……という感想だった。

主治医もこれを見て多くは聞かず、診断書を書いてくれたらしい。
同じ内容でも家族が言うのと他人が言うのでは証拠としての重みが違う。スムーズに診断書を書いてもらえたのは本当に良かったのだが……。

 

母は「年末にこれを受け取って読んでいたら気分が悪くなって、途中で読むのをやめたわ」と言った。(年明け、しばらくしてから読んだらしい)
「そりゃそうだよね、こんなもん、正月前に読まされたら胸糞悪いわ」
内容はひどいことばかりだが、ホームに入る前、彼が実家でやっていたことそのままだ。
職員さんには申し訳ないが、老いた両親には負担が重すぎる。このままなるべく穏やかにホームでお世話してもらえるようにと願っている。

 

初めてグループホームを訪れた際には、姉として一抹のさびしさを感じたが、今では、あの人はあそこで擬似家族を作って暮らすのが最善なのだと腹落ちしている。

 

今年の正月に弟は実家に泊まり、3泊したという。

ところが、父の意向としては来年の正月はもう受け入れたくないらしい。母は「かわいそうだ」と言うが、私としては致し方ないと思う。

私だって高次脳になった弟と共に実家で生活した5年間で心底うんざりしたし、「二度といっしょには暮らせない。暮らしたくない」と思った。

上京してからも、しばらくは正月に帰ると朝っぱらから弟が叱られている声を聞き、「ここでは気が休まらない」と嘆息した。
その後私はパートナーと暮らすようになり、実家に宿泊する習慣はなくなった。
祖父の死をきっかけに、元私が暮らしていた部屋は片付けられ(そうするように私が強く勧めた)今は仏間になっている。

私だって泊まらないのだから、弟がそうさせてもらえなくても仕方がない。

 

2人の子どもが30代でやっと実家を離れ、両親共、ようやく悠々自適の暮らしを楽しんでいる。
いずれ、もっと年老いて人の手が必要となるまでは、じゃましないで差し上げるのも親孝行のうちだと考える。

 

弟と食事したり、遊びに行ったりするのはしたい人だけがすればいい。
東京ではまん防が発令され、今度いつ遊びに行けるかわからないが、次はいっしょにカラオケでも行けたらと思う。