なにか新しいこと日記

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失恋した日に読みたいあなたの歌

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私には大好きな歌人がいます。枡野浩一という人です。

マンガ家でありイラストレーターでもあるヤマザキマリさんと合作した小さな歌集は傑作でした。

てのりくじら―枡野浩一短歌集〈1〉 (枡野浩一短歌集 1)

てのりくじら―枡野浩一短歌集〈1〉 (枡野浩一短歌集 1)

 
ドレミふぁんくしょんドロップ―枡野浩一短歌集〈2〉 (枡野浩一短歌集 2)

ドレミふぁんくしょんドロップ―枡野浩一短歌集〈2〉 (枡野浩一短歌集 2)

 

上記に掲載された短歌がまとまっているのはこちら。

ハッピーロンリーウォーリーソング (角川文庫)

ハッピーロンリーウォーリーソング (角川文庫)

 

私は、少し前に失恋して久しぶりに枡野さんの歌が読みたくなり、歌集を開きました。『ハッピーロンリーウォーリーソング』から今の気分で3首選んだらこれです。 

こんなにもふざけたきょうがある以上

どんなあすでもありうるだろう

 

痛いの痛いの飛んでいくように

痛まなくなるまで歌いたい痛い歌

 

だれからも愛されないということの

自由気ままを誇りつつ咲け

 

枡野さんは繊細な人。感情的な表現を極力排除した上で、三十一文字にさびしい心象風景を託していると感じます。

感情を強く揺すぶられることに耐えられないとき、こういう言葉が胸にしみてくる。寝転んでページを繰りながら、しみじみ味わいたい歌集です。

『愛のことはもう仕方ない』

過去の作品だけではなく最近の枡野さんはどうしてるのか気になり、新しい本も読んでみました。

愛のことはもう仕方ない

愛のことはもう仕方ない

 

 私小説の形式で近況を淡々と綴っていらっしゃいました。

 

十数年前、枡野さんはあるマンガ家と離婚しています。それも不本意な別れ方をしてお子さんと引き離され、未だに離婚の理由は知らされていないそうです。枡野さん側から見た事情を当時エッセイで読んで居たたまれない気持ちになりました。

元妻の言い分もマンガで読みました。私が定期講読していた雑誌に連載を持っていた人気のマンガ家でした。枡野さんの話とは全く違ったけれど、判事じゃないから「どっちが正しいか」なんてジャッジはできません。そんなことをしたって意味はない。ただ、私はこのマンガ家のストーリーには違和感を感じたし、この人の話は信用できないと思った。そのうち雑誌も読まなくなりました。

 

今回久しぶりに新しい本を読んだら、まるで時が止まったかのように変わらない枡野さんの姿がありました。離婚のショックから未だ回復し切れていない様子に、さびしい気持ちになった。

もうあまり短歌も詠まないのでしょうか……?

こんなにも才能のある人なのに。

元々体力もないのにインポテンツになってしまい、性欲も枯れてもはや恋愛する気力もない。芸人として活動してはみたものの、芽が出ずに元の物書きに戻ったらしい。

枡野さんは、ご自分のことをこんなふうに述懐しています。

私は生まれてからずっと、世間の多数派の求める「男らしさ」とは無縁だった。それゆえ「男らしさ」にあこがれてきたけれど、結局「男らしさ」になじむことはできず挫折を繰り返し、かといって女になりたいわけでもなくて、恥の多い生涯を送ってきました。

『愛のことはもう仕方がない』より

最後のフレーズは太宰ですね。

「男らしさ」を「女らしさ」に変えて読むと、枡野さんの屈折がわかるような気がする。私自身は外部から押しつけられる「女らしさ」を拒否して、自分が好む「女っぽさ」だけをファッションとして身にまとってきました。「女っぽい」ところ「男っぽい」ところ、1人の人間が両方備えていたっていいと思うし、「女らしさ」になじめなくても、それを挫折とは思いません。どんなに転んだって私は女でしかないんだから。

枡野さんの苦しみは私には理解ができない。でもこういうことで悩む男性は、意外と多いのかもしれない。

 

この私小説は女性向けのアダルト情報を集めたインターネットメディアで連載されていたそうです。

連載時のタイトルは『神様がくれたインポ』略して『神ンポ』。

最近の出来事と過去の内省とが、常に行ったり来たり。あらゆる角度から離婚の理由を考察し、ユーモアを交えて自己を分析し解釈していらっしゃいます。笑っていいのか戸惑ってしまうけれど……やっぱり笑っちゃう。そんな本です。

 

離婚から年月が経ったからそろそろ傷は癒されたのかと思ってみたけれど、まだだったみたい。それでもいいんだ、立ち上がる元気がないときは野生動物みたいに寝床で体を丸めて傷口を舐めていたらいい。好きなだけ、そうしてたらいいよ。

それでも、私はいつかあなたの傷が癒える日が来るのを願っているし、息子さんはきっとあなたを探しあてて話を聞きに来てくれるだろうって信じている。親の支配から抜け出せる年齢になったら、きっと、片方の言い分だけを聞いて判断するのは不公平だと気づくはず。

 

巻末に置かれた、中村うさぎさんからのメッセージが心にぐさりと突き刺さりました。ちょっと長いけれど、抜粋して引用します。

自分は他人を理解できないくせに、他人が自分を理解してくれないと絶望する。それが、あなたの「穴」なのです。他人に期待しすぎなんだよ、きっと。あなたを理解してくれる人なんて、おそらく世の中に数人にしかいなくて、たいていは理解してないのに理解した気になってるだけ。その「理解してもいないのに理解した気になってる」薄っぺらさが、あなたをとても苛立たせるんだと思うけど、あなただってきっと元妻や友人たちを「理解してる気になってただけ」なのよ。おそらく、その薄っぺらで欺瞞に満ちた理解と共感こそを、我々は「コミュニケーション」と呼んでるんだと思う。

中略

「ま、他人なんてそんなもんだよ」と思ってしまえばラクにはなるが、他人への期待こそがあなたの快楽なのだろうから、その穴を失ってしまうと、ラクになる代わりに人生が楽しくなくなるかもよ。地獄を出たら、そこに広がっているのは果てしなく空虚で無味乾燥な砂漠。他人に期待し続けて苛立ったり苦しんだりし続けるか、他人に期待するのをやめてラクだけど殺伐とした面白くもない人生を歩むか。どちらを選ぶかは、あなたが決めることなのよ。P253

中村さんの言葉はナイフのように鋭いけれど、同時に愛のこもった優しい言葉だと感じます。

私も理解し共感し、時に誤解し、笑ったり悲しくなったりしながら……あなたが何かを書き続ける限り読み続けたい。

こんなにもふざけたきょうがある以上。