伯母が急逝した。62歳だった。
父の兄嫁で、性格はおおらか。いつもニコニコ明るい人だった。よく太っていた。
しばらく疎遠にしている間に持病が悪化してうつになっており、ホルモン剤とうつの薬を両方飲んでいたらしい。死ぬような病気ではなかったのだが……。伯父の話では、薬を誤って多く飲み過ぎたのではないかということだった。外出から帰ったら様子がおかしく、救急車を呼んだけれども間に合わなかったそうだ。
おっちょこちょいの伯母なら、さもありなんと思わせた。あるいは薬の影響でぼーっとしていたのかもしれないし、薬の管理が難しい状態にあったのかも。伯父がどんなにか気落ちしていることかと思うと、詳しいことは聞けなかった。
雨で、さびしい葬式だった。
姪の立場で参列したのは私一人だけ。他は本人の兄弟と、喪主である伯父の兄弟夫婦のみ。
ど田舎の、近隣にだーれも住んでいないようなところで夫婦仲睦まじく暮らしていたのに、突然伴侶に先立たれてしまった伯父の心境を思うと、かける言葉もなかった。ただこの場にいていっしょに見送りたい。それだけの思いで参加した。
お経もなく、坊さんも呼ばず。祖父母のときに行った宗教儀式とは無縁のさっぱりとした式だった。晩年の祖父は宗教狂いだったと聞くから、伯父はきっと宗教にはほとほと嫌気が差していたのだろう。私の父も同じく、大の宗教嫌いである。「親を送るときには親の意向に従ったけれども、自分の妻は無宗教で見送りたい」という伯父の強い意思を感じた。
元気な頃の伯母は楽しい人だったから、きっと友だちも大勢いただろうに……。こんなことになるなんて誰も思わないから、葬式に誰を呼んでほしいとかのリストも作っていなかったんだろう。連絡が間に合わなかったんだろうな、と察した。
祖母のときと同じ火葬場に移動して、みなで骨を拾った。人数が少ないからすぐに終わってしまい、係の人が丁寧に箸やほうきを駆使して細かい骨までかき集めるのを見守った。
こんな悲しい作業はやっぱり親族が集まってやらないと……。
葬式に出るたび、つい、自分の親を送る「いつか」のことを考えてしまう。
私には弟がいるが、脳を負傷してから知能が極端に低くなってしまい、頼りにできそうにもない。私一人で親二人を、いつか送ってやらなければならない。そんな日に一人ではとても耐えられる気がしないから、やっぱり私も自分の家族を作らなければと思う。もちろん、それだけが新しく家族を作る動機ではないけれど……。
葬式の日に誰が側にいてくれるかは重要だ。
伯母は共白髪になるまで伯父と寄り添い、いつか伯父が先に逝ったとしても、仲のいい姉さんや親戚に身を寄せて、元気で長生きするものとばかり思っていた。
親から受け継いだ田舎の土地に縛られ執着しているのは伯父の方で、よそから来た伯母は自由だったはずなのに先に逝ってしまった。伯母亡き今、伯父はどんな気持ちであの家に一人暮らし、家族の墓を守っていくのだろうか……。とてもさみしい。
伯父の人生には重要な人だったんだ。
そして我々親族にとっても、欠けがえのない人だった。
そのことをここに記しておきたい。
アイキャッチ制作:えす(@Sakura_05300921)