なにか新しいこと日記

当サイトではアマゾン、楽天のアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

制服のころ

f:id:giovannna:20180306123837p:plain

私の親が買った家は丘の上にあって、春は大風が吹きすさぶ。

少女時代は父の仕事の都合で転校を繰り返し、私が中学2年に上がる年にやっと帰ってくることができた。たった15か月しか住んでいないマイホーム。購入してから7年が過ぎていた。

 

中学まで4kmの道のりを自転車で通った。丘をハイスピードで下り、跨線橋を上がって下りて、小高い山の上にある中学校までまた上がっていく。体力がないからアップダウンを繰り返すだけで毎日ヘトヘトになった。

特に帰り道。急傾斜を自転車で上がっていく力がなく、しばしば自転車を引いて歩いていった。照りつける日差しの下、一人で自転車を引きながらある日ハッキリと「こんなのは2年でもうたくさんだ!」と思った。絶対にこの土地の高校へは行かない。私は電車で遠くの高校まで通うんだ、と。

 

自分の頭で入れる中で一番ハイレベルとされる高校へ進学した。電車で25分。自分の住んでいた土地よりずっと都会にある高校だった。

 

制服はダサかった。

明るい紺色のジャケット、ベスト、プリーツスカートのセット。胸元には小さなタイ。

今見ても不恰好で美しくないデザインだと思う。ちゃんと着てもモッサリするし、スカートを短くしたりアレンジを加えたところで可愛くはない。

なんのためにあんなものを揃いで着せているのか、今となっては疑問である。生徒の個性や人格を無視した「管理主義」ってところだろうか。

 

私の親は倹約家で、子どもの頃は弟も着られるようにあえてユニセックスな服を選んで着せられていた。髪型は万年ベリーショート。制服を買う段になると「体が大きくなっても着られるように」という理由で、ジャストサイズより大きめを購入するのが習いだった。

ただでさえダサい制服なのに、わざわざ大きめを着せられた私は本当に不恰好で、泣きたくなるほどブスだった。

 

中学から高校にかけては笑顔の写真がほとんどない。どうしても写らなければならない集合写真以外はなるべく避けて入らなかったし、渡された写真もほとんどは捨ててしまった。卒業アルバムは見るたびに忌々しく憂鬱な気持ちが起こるので、家を出るときにまとめて捨てた。

私の親には「女の子を育てる」という意識が欠落していたのだと思う。男女平等に教育を与えてくれたことには最大限感謝しているが、女がサバイバルするためには知性だけでは足りないってことがわからなかったのだろう。

高校までひどい服を着せられて化粧も知らなかった私は、その後10年くらいトンチンカンな格好をして生きていくことになる。

外見も内面も。自分を躾しなおすのに随分と時間がかかってしまった。

 

もし時間を戻せたら、私は制服のない自由な高校へ行く。若いうちにさっさと自分に合う服を選ぶセンスを養った方がいい。単位選択制の総合高校で好きな科目を中心に勉強しよう。アルバイトをして自分で好きな服や本を買いたい。

重い制服に体を拘束され、バイトも許されず、大学進学だけをめざして勉強するのは本当につまらなかった。

あの頃はインターネット前夜で判断材料がなかったから、私は「それしか選択肢がない」と思い込まされていたのだ。

今は、そうじゃないからすばらしい。情報は手の中の小さな端末でアクセスできる。

 

もう丘の上には戻らない。

私は好きな服を着て生きていく。

 

SPECIAL THANKS...

イラストレーション: DAC

アイキャッチ制作: あいまいみー(@imyme_999

 

この小説は、ブロガーと読者をつなぐサークル『ヒャッハー委員会』のお題「制服・ユニフォーム」に応募するために書かれた。