この物語は、実際にあった出来事を元にしたフィクションです。作中に反社会的な描写があったとしても、実在の人物や組織とは関係ないことをご了承願います。
「コミュ障」という言葉がある
一般的には内気で人見知り、社交が苦手で、特に人から注目を受けたときに動揺して挙動不審になりやすいタイプを指している。
私はまさにこれ。コミュ障を盛大にこじらせたまま大人になってしまった。
思春期には本やマンガを友として成長し、大学卒業を目前にして「私が今後の人生で追求したいジャンルはこれだ!」と思える学問にようやく出会った。両親に相談すると「大学まで行かせてやったのだから更に勉強したいのなら応援はするけれど、学費は自分で調達しなさい」と言われた。もっともな話である。それで就職したのが都内の商社だった。
私はそこで社会人としての基本的なマナーを身につけた。書類作成、電話対応、エクセルの入力。上司に対する話し方、お茶汲み、飲み会幹事のやり方など……。新卒で入社したコミュ障のOLに対し、周囲の目は温かった。
同僚のミキちゃんは、私と正反対のタイプだった。そこにいるだけで周りの人の心を明るく照らすようなコミュニケーション能力の高い人だ。相棒がミキちゃんじゃなかったら、きっと私はあの会社に4年も勤めることはなかっただろう。ミキちゃんとは机も向かい合わせ。同期でいつも一緒だったから何かと比べられたりして鬱陶しいこともあったけど、私はミキちゃんが好きだったし、私なりにOL生活をエンジョイしていた。2〜3年のつもりが結局4年も働いてしまったのは、OL生活が案外と楽しかったからだ。
魔のボーリング大会
1年目の初夏のある月曜日。朝礼の席で同じ部署の先輩が「今週、K社とのボーリング大会をやるので、誰々君と其々君……是々さん、ジョヴァンナさんも参加してください」と言い出した。
えーっ、私、ボーリングやったことないんだけど!?
取引先との親睦会に参加すること自体、「聞いてないよ」って感じなのに、やったこともないボーリングを大勢の前でやらされるって何の罰ゲームですか?
朝礼が終わってからすぐに申告した。
私「松澤さん、私、ボーリングやったことないから無理です」
松澤「大丈夫! 教えてあげるからさ」
いや、教えてあげるって、あなた幹事でしょ。幹事は初心者の指導なんかしてるヒマないはず。他の先輩はまだ気心も知れないし、取引先の人なんかもっとどうしたらいいのかわからない。怖い!
私「いや、絶対無理です。行けません」
結局部署のほとんどが参加したボーリング大会に、私だけが欠席させてもらった。頭数が1人欠けるので松澤さんは困ってしまい、社内行事には一切参加したくないと公言していた派遣社員に頼み込んで出席してもらったらしい。
翌日、私は松澤さんと派遣の先輩両方に謝った。
「私だけワガママを言って参加できず、申し訳ありませんでした。次回までにボーリング、練習しておきます」
松澤さんは「気にしないで!」と歯を見せて笑った。
私はドキッとした。私だったら、こんなときにきっと笑顔は見せられない。この人の、こういうところが人から好かれ慕われるところなんだって……。
(派遣の先輩も謝ったら許してくれたが、顔は明らかに迷惑そうだった。ごめんなさい!)
今にして思えば、人の都合も考えず勝手に私を頭数に入れていた松澤さんもどうかと思うが、体育会系のノリに慣れているミキちゃんは平気で参加しているのに、自分は参加できないということに当時はものすごく劣等感を感じた。
罰金に泣かされた
秋には全社ゴルフコンペが開催された。
我々の部署の所長が幹事を務めるため、部のメンバー総出で金曜の午後に都内を出発し、北関東のとあるゴルフ場に詰めることとなった。全仕入先に招待状を出し、会場には豪華商品(大物の電化製品、商品券など)を山と積み上げた本社きっての大イベントである。
私とミキちゃん、部署の先輩方は気色の悪いキミドリのスタッフジャンパーを着させられ、土曜の朝から受付に座っていた。
このコンペではゴルフの成績によって優勝から3位までと、ブービー賞を当てる「馬券」を発行していた。会費とは別に馬券や掛け金を徴収するために窓口は3つ必要だった。
ゴルフに出場しない私とミキちゃんは全員の受付が終わると、待機中に金勘定、馬券の整理を行った。
夕方には大広間でパーティー。開始前に「松澤君とジョヴァンナさんは罰金を集めてきて」と所長から指示を受け、弁当売りのように箱を持って会場を回らされた。
松澤「罰金、罰金の方、いらっしゃいますか!」
参加者「罰金て何だっけ?」
松澤「池ポチャとボギー、それぞれ500円です」
参加者「罰金て何~?」
私「池ポチャとボギーです。罰金がある方はこちらにお願いします」
自分の言っている意味が自分でもわからない。またしても不快なキミドリのジャンパーを着させられ、居心地の悪さは最高潮だった。
私「罰金がある方、いらっしゃいませんかー?」
取引先にニコニコ愛想を振りまく先輩に対し、私の顔は引きつっていたと思う。ミキちゃんは会場でも元気に活躍していたが、私は気疲れと休日出勤でくたびれ果てていた。
この頃、私は松澤さんのことが好きだった。キラキラした笑顔で、後輩から慕われ仕事もできる先輩はカッコ良かった。
先輩に比べたら私は醜いアヒルの子だ。釣り合いっこないのが、悲しかった……。
自分が嫌で、悔しくてトイレで少しのあいだ泣いた。
ゴルフコンペは毎年続いたが女性社員が駆り出されたのは2年目まで。3年目からは馬券が廃止され、私やミキちゃんは休日出勤を免れた。
回り道したけれど
その後、私はミキちゃんより一足先に会社を辞め、資格学校に通うことにした。
資格を取得後は、接客込みでいずれは独立してやっていくことを見越していた。引っ込み思案を直さなければプロとして成り立たないことを、承知の上で選んだ道だった。
私は誰もやりたがらない生徒会の役員を積極的に引き受けた。
生徒会の広報誌を作るため、上級生や講師の知り合いなどに積極的にアポを取ってインタビュー記事を仕掛けていった。
文化祭の講演会では、司会者としてマイクを握りもした。それ以外の時間帯は受付に立ち、一般来場者に向かって笑顔を振りまいた。
2年目には同級生の後押しによって、十数万の会費が動くチームの部長を引き受け、毎週ミーティングを開き、毎晩自宅で深夜まで作業して1年に及ぶプロジェクトを完成させた。(全て無報酬)
これらの課外活動を2年間精力的にこなした。家庭内が非常に荒れた時期でアルバイトもできず、何か放課後に打ち込めるものが欲しいという切実な動機もあった。
骨身を削って1円にもならない仕事をがむしゃらにやり、途中うつっぽくなったこともある。風邪引いたわけでもないのに喋るたびに咳が止まらない時期もあった。それも何度も。もうあんなことは2度とできないし、したくもない。かなりの荒療治だった。
結果として私が手にしたものはプライスレス。
今ならば目的を遂行するために、ダサいジャンパーを着もしよう。化粧して、知らない人に愛想を振りまくのだって余裕だ。初対面の人にも、もちろん笑顔で挨拶できる。
社会的立場が上の方や、遥かに年上の方だって全然平気。みんなお客様だから。
醜いアヒルの子は、白鳥になったのです……とまでは言えないが、トイレで泣いていた頃からすればそれなりに化けたと満足はしている。
資格を取った後にも何度か先輩に会いに行った。
私「会社にいた頃……ゴルフコンペの『罰金』を徴収するのが泣くほど嫌でした」
松澤「あれは俺も嫌だったよ」
私「えっ……」
なんだ、私だけじゃなかったんだ……。ガクッと力が抜け、笑ってしまった。
私のあの悩みは何だったんだろう?
今思うと、OL1年生、大人に混じって精一杯働いていたつもりで中身は全然まだ子どもだったな……。周りの上司や先輩方がよく面倒を見て下さり、一人前の社会人として育てていただいたことに感謝している。
回り道したけど、それで良かったよ。
コミュ障のまま新卒で資格を取ったところで、現場に出てもまるで使い物にならなかったことだろう。
私がどうやってコミュ障を克服したかと言うと自分で「これじゃダメだ」と思って、学生のうちに人前に立つようなポジションにチャレンジしていったことが大きい。そして、そういうときに……私の心の中で密かにモデルにしていたのは松澤先輩であり同期のミキちゃんだった。恋はとうの昔に終わったけど、松澤先輩は今も私のスターだ。
昔は人が怖かったけど、今はそうでもないよ。悪意を持った人と、そうでない人とを区別すれば後者は全然怖くない。
この話に、特にオチや教訓はない。
コミュ障でも接客の仕事できるんだぜ!ってことを言いたかっただけかもね。ここまで読んでくださり、ありがとう。
また月に一度くらいは、小説を書いていきます。