ジョヴァンナです。こんにちは!
ハフィントンポストの記事を見て、渋谷まで映画を観に行ってきました。
性的暴行を受けた妻は犯人を赦すのか アカデミー賞を拒否した女優が、暴力を語る。
あらすじを読んで性犯罪を扱った作品と知り「これは、つらい気持ちになりそうだな……」と思ったけど、コミュニケーションの断絶というテーマに興味があったのでトライしました。
実際にものすごくつらい気持ちになったかと言えば、そうでもなかった。重い題材を扱ってはいるけど、映画の中で「これが正解」という描き方はしていません。観る人に「あなたはどう感じますか?」と疑問を投げかけて終わる、そんな映画でした。
中盤から《ネタバレ》ありますので、《ネタバレ》見たくない人はご注意ください。
公式サイトはこちら→ 映画『セールスマン』公式サイト
予告編
映画『セールスマン』イランのヒット作、アスガー・ファルハディ監督が綴る夫婦の物語
関連作品
アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの死』をご存じでしょうか。
Wikipediaによればピューリッツァー賞を受賞した作品で、初演は1949年のニューヨークにて。今から70年近く前の名作です。
この作品を私は観てないので、ところどころでなんのこっちゃ?と思いながら観ました。
映画『セールスマン』のあらすじ
本作品『セールスマン』の主人公は役者の夫婦。『セールスマンの死』の舞台上演を控え、稽古に励んでいます。
そんなある日二人が住んでいたアパートが倒壊の危険に陥ります。役者仲間の紹介で急遽次のアパートに移るのですが、そこは「訳あり物件」でした。
1部屋に丸々前の住人の荷物が残って開かずの部屋になっており、業を煮やした妻が電話して「早く荷物をどかしてください。さもなければ処分します」と警告します。相手の女性が「そんなことは許さない! 私の荷物には絶対に触らないで」と拒否したにも関わらず、皆で鍵を開けて荷物を軒先に出してしまいました。
その女性が何者かも知らず、新生活を始める二人。
打ち合わせのため、夫の帰宅が深夜に及んだ日のことです。インターフォンが鳴り、妻はオートロックと自宅のドアの鍵を開けてシャワーを浴びに行きます。しかし、その夜の訪問者は夫ではありませんでした。
傷つけられ混乱した妻は、悲鳴を聞きつけた近隣住人の手で病院に担ぎ込まれます。
暴行されるシーンこそありませんが、血まみれの床や、頭に傷を負いすっかり怯えた表情の妻の様子などから「何が起こったか」は暗示されています。
この後、警察に行きたくない妻と、犯人を見つけ報復しようとする夫との間で齟齬が起きます。
ここからが《ネタバレ》です。
真相と物語の結末《ネタバレ》
夫は犯人が残した車の鍵から容疑者を割り出し、コンタクトを試みます。
廃墟となった元の住まいに男を呼び出し話をしようとするのですが、現れたのは別の男でした。
「娘の婚約者に頼まれたから来た」と話す、高齢の太った男性。実はこの男性こそがあの夜の侵入者でした。
前の住人はアパートに多数の男を引き入れて売春を行っていたらしく、男性も客の1人だったそうです。男性は女に呼び出されてアパートに行き、役者の妻が不用意に鍵を開けたのをいいことに部屋まで入り込んでしまった。すぐに以前とは様子が違うことに気づいたが、欲情をそそられてそのまま浴室に入った。その後のことはよく覚えていない、と話しました。
「家族には言わないでくれ、私に恥をかかせないで欲しい」と懇願する男性。
役者の夫は怒りに任せて男を監禁します。
妻に連絡すると、驚いたのは妻です。
「何ということを!」
真実を知った妻は、犯人への報復を望みませんでした。
「この人を解放して。この人の家族に話したら、私とあなたはもう終わりよ」
夫は言う通りにしようとしますが、心臓に持病を抱える男は監禁中に体調が急変し倒れてしまいました。家族が駆けつけ、男を背負って帰ろうとするところ、役者の夫が呼び止めます。
男を別室に呼び、男が置いて行った金を返しながら一発パンチを浴びせます。
これが致命打となったのか、男は帰る途中の階段で力尽きてしまいました。
何も知らない男の家族は泣きわめき、救急車を呼びます。
役者の妻は打ちひしがれてアパートを出ていきます。終わり。
あまりにも淡々としていてわけのわからないところも多く、見終わった後呆然としてしまいました。
何かをほのめかすようなエピソードが数多く織り込まれているのだけれど、一切謎解きはされず、観る者の解釈に委ねられている。
いつも映画を観たあとは「ネタバレ」+「タイトル」で検索して他の人の感想を読むのを習慣にしている私ですが、今回は他の人と答え合わせする前に感想を書いてみようと思います。
『セールスマン』のミステリー
1.崩れ落ちるアパートの謎
そもそも冒頭シーン、住んでいたアパートが崩れることになった原因がわからない。重機が突っ込んできたのは何? 私にはわからなかったので、カフカ的な不条理を感じてしまいました。
2.タクシーの中のエピソード
稽古に向かうタクシーの中で、役者の隣に乗っていた女性が「そんなに体をくっつけないでちょうだい」と嫌悪をあらわにし、途中で他の人と席を代わってもらいます。
彼女は過去に男性とのトラブルで嫌な思いをしたことから、そういう振舞いに及んだのだと役者の夫は理解を示していますが、何とも気まずい気分にさせられるエピソードです。
3.赤いコートの女
劇中劇で、セールスマンの隣室に住む女性が浴室から裸で出てくるシーンがあります。「裸」と言いながら実際には真っ赤なコートを着ているので皆が笑うのですが、女優はこのことに気分を害し、出て行ってしまいます。
稽古中だからコートを着ているのかと思いきや、本番の舞台でも彼女は同じコートを着ていました。
つまり社会が女性に肌を見せることを許さないので、裸のシーンでも(裸を感じさせるような衣装ではなく)しっかりコートを着込んでいるのだと思う。こういう社会で、あえて70年前のアメリカ製の戯曲を上演することの意義って何だろう?と考えてしまいます。
「浴室から裸で出てくる女」というのは、このあと役者の妻に起こる出来事を暗示していると思う。
4.劇中劇『セールスマンの死』の意味
劇の結末でセールスマンは死に、その保険金でやっと借金が返せたと棺にすがって妻が嘆きます。(セールスマンは自殺したようです。)
妻のために(?)死を選んだセールスマンと、嘆く妻の間のディスコミュニケーション。これはそのまま演者である役者夫婦の齟齬を暗示しているのかなと思いました。
『セールスマンの死』を知らない、私の感想
いろいろ書きましたが、作中に出てくる謎めいたエピソードの数々は、結局のところ「ハッキリとものが言えない社会である」ってことを示しているんじゃないかな。
村上春樹の小説のようにメタファーだらけで、何を言いたいのか直接的には伝わってこないもどかしさを感じました。
役者の妻が、どういう暴行に合ったのかもハッキリわからない。(それを明らかにすることが作品の趣旨でもない。)
いずれにせよ、一人のときに自宅に侵入されたことの精神的なショックと、体を傷つけられたショックでうちひしがれている人に対して……皆がスルーしてることがつらかった。
「警察が公正な捜査をしてくれる」っていう期待と信頼がない社会では、本当にただ口をつぐんでいるしかないの? 精神的なケアも受けられずに? 2017年の現在に?
女性が肌を見せることが許されない社会。
性犯罪の被害に合ったなんて表沙汰になったら……日本でだって大変に嫌な思いをすることは知られているけれども、もしかするとそれ以上にひどいことがあるかもしれない。そういう社会。
そういう社会で犯罪の被害に合ったら……訴えずに泣き寝入りすることも仕方がないのかもしれない。
それでもやはり、身近な人間関係の中での精神的なサポートって絶対に必要だと思う。
話したくないことは、話さなくていいよ。それでも、なにかしらのケアは必要であると思う。
なのに、夫とすらコミュニケーションが断絶しているのはキツイ。
「一人にしないで。そばにいて」って妻が懇願しているのに、仕事に出かける夫も夫である。
妻は復讐なんて望んでいなかったのに……。
お互いに話をしないから、死人を出すという結果にもなってしまった。
たぶん、夫は妻がどう思おうと真実が知りたかったんだろう。自分の手で犯人を罰することを必要としたんだろう。でもそんなこと、妻は望んでいなかったというのが、最悪でした。
「ただそばにいて欲しい」と言っていたのに、それすらしないで復讐を遂げた夫。
結局そういう一方的な暴力性こそが、女性を最も傷つけているのだと感じました。
この記事を投稿したら、他の人の感想も読んでみよう。
ダスティン・ホフマン主演の『セールスマンの死』も観てみたい。
もし『セールスマン』を観た人がいたら、感想を教えてください。