なにか新しいこと日記

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麒麟がくるまで、待とうじゃないか

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大河ドラマ麒麟がくる』を楽しみに見ている。元々悲劇好きということもあり、三日天下で終わった明智光秀を1年も掛けてどのように描くのか、興味を持って見始めた。

これがおもしろい。

歴代大河でも戦国時代は人気があり、これまでに散々やり尽くしている……と思われたが、大胆な人物解釈によって現代ドラマ風になっているのが新鮮だ。

 

例えば、織田信長は両親から冷遇され続けたアダルトチャイルドだ。ただでさえ童顔の染谷将太がしょっちゅう幼な子のように不満をあらわにし「父は誉めてくれなかった。母も弟ばかりを可愛いがった」とのたまう。しかも格下の十兵衛にも平気で弱さをさらけ出し、心中を打ち明ける姿が今までにない武将像として新鮮に感じられた。

信長の妻、濃姫。ドラマでは「帰蝶」の名で呼ばれる姫は、常に夫を励まし、策略を巡らせて成功に導く強い女性だ。川口春奈が凛とした爽やかな悪女を演じており、とても良い。

この役が沢尻エリカなら、もっと険のある悪女になったんじゃないか……?
薬物問題で降板した折は残念だったが、代役の川口春奈の演技がなかなか良く、応援したくなる。と同時に沢尻エリカならどう演じたかな〜と、つい想像してしまう。よいキャスティングだった。

 

主役の十兵衛(のちの光秀)は、前述の2人に比べるとつかみどころのないわけのわからんやつだ。序盤はストーリーの都合によってあっちこっちへ駒のように動かされるばかりで、芯のない空虚な人物として感じられる面もあった。

十兵衛が自らの意思で動いたのは、好奇心から京へ銃を買いに行った時。そしてその次は斉藤道三が反旗を翻したとき。道三につくと自らの意思で決めた。それまでは一向に意思や感情が感じられず、嫁取りさえも一見恋愛結婚みたいな雰囲気を出しておきながら、なぜこの嫁が良いのか感情を表に示さないのが不気味だった。

道三が死に際行くべき道を示したことによって、十兵衛は急に生き生きし始めた。それまでは戦乱の世の中で進むべき方向性を失っていたのかもしれない。

そのように捉えると、十兵衛は現在を生きる私たちそのもののようにも見える。人生の中で進むべき方向性がわからず、敷かれたレールに沿って進学してはみたものの、学校から放り出されるとその後はどうしていいかわからない……。私自身がそんな学生の1人だった。20代の頃は自分が空っぽな気がしたものだ。長い間しんどかった……。

十兵衛も、そんな若者の1人であったということかもしれない。

 

麒麟がくる』の麒麟とは時代を切り開く麒麟児を示しているものと考える。
麒麟はだれか。
明らかに、このドラマの信長では力不足だったのだろう。だから光秀は信長を追いやり、自分が麒麟になろうとしたのか? 結局、すぐに秀吉に討たれるのだが……。歴史からすれば、十兵衛より10も若い家康を指しているのかもしれない。あるいはそう簡単な話ではないのかも。

 

麒麟がくる』は人間ドラマとしておもしろい。

人物ごとに衣装のテーマカラーが決まっているのも、わかりやすくていい。
この時代にしては衣装の色が鮮やかすぎると言われたが……。戦隊モノみたいに色が決まっていると、人物を識別しやすくていいんじゃないか。

十兵衛の黄緑色の着物を見ていると、私は『鬼滅の刃』の主人公を思い出す。彼は緑色の羽織を着ていて、赤い花札のような耳飾りと額のアザが特徴的だ。同じ年頃の登場人物が大勢いても、衣装や髪色を見れば、どれがだれかすぐにわかるアニメの仕組みは合理的だと思う。

大河ドラマも大勢の人物が登場するので、主要な人物だけでも、役柄に合わせてテーマカラーが割り当てられている仕組みはわかりやすくてよい。年齢や身分に合わせて、色は似たようでも着物の質感や織り方がグレードアップしているのを見るのも楽しい。

 

今回は、時代劇としては今までになく現代的なドラマのように思う。
新型コロナウィルスの影響でしばらく収録を休み、撮影再開は6/30から。放送再開は8月頃、年をまたいで44回放送されるという。

日曜日の夜に麒麟が戻るのを、楽しみに待っている。