「娘がマンガ家になりたいと言うので応援しています」というお母さんのブログを読んで、思わず反応してしまいました。
大人から《無条件の愛》をタップリ受けている子どもを見ると、いいな〜、いい親御さんだなって心が温かくなる。と同時に、うらやましくて泣きそうになる幼い日の自分がいる。どこかにいる。
仕事ではいい人ぶって毎日「感じのいい人」を演じてるけど、ここはプライベートだから、たまにはどす黒い気持ちも書いてみようと思う。
絵を描くのが好きだった。
子どもの頃は絵を描くのが好きでした。送迎つきで絵画教室に2年ほど通わせてもらったことを覚えています。小学2〜3年生でピカソの『ゲルニカ』を模写した体験は衝撃でした。優しい顔した女の先生でしたが、さすがアーティスト。よく低学年の子にそんなことやらせたなーと思う。いい先生でした!
絵を描くのが好きな子どもは、将来の夢は何?と訊かれて「画家になる!」と答えました。
「画家なんてやめとけ」とサラリーマンの父は言いました。なれるわけがないし、なれても食べられるのはひと握りの人だけだと。
そう言われた私はとても混乱しました。
将来何になったらいいのかなんて、わからない。わからないなりに好きなことを答えたんだけど、その答えは「不正解」なの?
好きだからって職業にできるわけじゃないんだ…。
だったら何で私は絵画教室に行ってるんだろう? 意味がわからない…。
代わりに薦められた職業
私の親はその後も長きにわたり「薬剤師」だの「警察官」だの、果ては「公務員だったら何でもいい」といった具合に「安定した仕事」ばかりを薦めてきました。
フリーランスで自活している今となっては笑止千万! どこに目をつけたら私に公務員としての適性があると思えるのか? 協調性がなさ過ぎて無理だろう。アンタらの目は節穴か?ってな提案を次々にくり出してきました。
要は「何でもいいから親に心配かけないような職に就いてほしい。お前に適性があろうがなかろうが知ったことじゃない。
画家になれるような才能はお前にはないし、そこまでの努力もできないだろうから、最初からあきらめなさい!」
そういうメッセージだったのだろうと今ならわかります。
それは、親の都合です。
子どもの人格を無視してるし、「私には何でもできるんだ!」っていう小さな子どもならではの自尊心を傷つけ、「1円の価値も生み出さなくてもこれがしたい!」という純粋な楽しみを奪う行為だったと、今ふり返ってみて思います。
私はあのとき徹底的にスポイルされたと感じました。(何かが決定的に失われたあの感覚=spoilされたってことなのだと、だいぶ後になってから知りました。)
凡人として生きていかねばならないことを親から宣告された事実が、心に重かった。
自分の心は自分で守る
それ以来、自分が大切にしていることを軽々しく人に話したり、分かち合えると思ったことは一度もありません。
自分の大切なものを親に話してはいけない。自分の心は自分で守らなければ、誰も味方にはなってくれないと思いました。
大学まで出してもらい、その後資格学校にまで通わせてもらったこと、惜しみなく教育を与えてくれた両親にとても感謝しています。
と同時に、子ども時代に呪いをかけられたことも忘れません。
凡人であっても人から尊重され、男性と対等に扱われて、職業人として地位を確立できるのはどんな仕事か?
必死に求め、あがき続けた20代を経て、今は専門職として独立して働いています。 毎日、楽しいです。今の仕事に適性があると思うし、凡人なりに一生やっていける仕事だと思う。
だけど、どこかの平行宇宙には「画家になる夢」を反対されなかった私がいて、ずっと絵を描き続けていたんじゃないかって夢想することがあります。
今、若者に伝えたいこと
楽しいことがあったら、続けたらいいよ。楽しいことを仕事にするのは狭き門かもしれないけど、適性があって努力を続けられた人だけがプロになれるはず。
あるいはもしかして、運みたいな要素もあるかもしれない。
でも、悲観しないで。
好きなこと、自分の得意な方向に向かってさえいれば、周辺にもいろんな職業があるし、自分の適性に合ったやりたい仕事がきっと出てくると思う。
「これぞ!」という居場所が見つかったら、すぐにチャンスをつかめるように準備だけはしていて。アンテナを張り巡らせて、自分の可能性を狭い範囲に限定しないでください。
もし「画家になりたい!」って子どもが言ったら、私はこう答えます。
「素敵な目標だね。たくさん絵を描いて勉強してね」
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