なにか新しいこと日記

都内で働く30代キャリアウーマンが新しいことにトライしてみた日々の記録。

世界で一番めんどくさくて愛すべき女性の話

ジョヴァンナです。こんにちは。

今日から私小説を書いていきます。基本的には実際にあった出来事を書いていますが、プライバシーなど問題がありそうな部分は一部改変するところもあるかもしれません。

 

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Illustrated by DAC

 

タイトルに「めんどくさい話」と書いてあるから大丈夫だとは思いますが、「重い話や、めんどくさい話はごめんだい」って人は、この辺りでそっ閉じしてくださいね!

めんどくさい話が読みたいという少数の勇者のみ、先へとお進みください。

 

コミュ障をこじらせて生きてきた

恥ずかしながら、10代20代の私はひどいコミュ障でした。人とコミュニケーションするのがこわかった。今も対人関係ではかなり慎重な方ではあります。

原因は、ハッキリしている。

身近に信頼できる人がいなかったからです。100パーセント信頼して自分を預けられる人がいなかった。

大人になって自力で生計を立てられるようになってからは、自分を頼みにしてなんとかやってますが、子どもの頃は大層不安でした。

 

私の父は猛烈サラリーマンで、平日は全く育児に参加しませんでした。その上転勤族で母は孤立無援。2人も小さい子どもを抱えて、今考えれば育児ノイローゼだったと思います。

就学前の母との記憶と言えば、鬼のようにガミガミ怒っている顔や、竹のものさし片手に追いかけまわされ叩かれたこと。ドアの外に立たされ、数十分家に入れてもらえなかったこと。(たぶん食品スーパーに買い物に行ってた40〜50分だと思うんだけど)私1人で留守番していて心細く、ちょっとの時間が何時間のように長く感じられたことばかりが思い出されます。もちろん、いいこともあったはずだけど、幼心には恐怖ばかりが刻まれている。

 

決定的だったのは、5歳頃の出来事です。

父と母と弟がいて、私が母と手を繋ごうとして駆け寄って行ったら、冷たい顔した母に「イヤ」と手を振り払われたことがありました。母は、弟と手を繋いでいました。

お母さん、私のこと好きじゃないんだ……って思った。その思いは20年間消えませんでした。

 

26歳になって、この時のことを覚えているか、母に訊いてみたことがあります。母は覚えている、と言いました。

「あの時、私は何てことをしてしまったんだろうと後悔して、その後、お前の顔をよく見てみたけど、平気な顔をしていたから気にしてないんだと思った。ごめんね、ごめんね……」

「いいよ。もういいよ」

母と抱き合って泣きました。

 

この時、母には「許す」と言ったし、許したいと思ってはいるけれど、頭で了解したことと感情的に割りきれるかどうかは別の問題です。

この出来事がどのくらい私の人生を損ねたか母は知らないでしょう。(できればこのブログに気づかず、知らないままでいて欲しいと心から願います。)

母親にこっぴどく拒絶されたことは、5歳の私にとって世界が崩れ落ちるも同然の衝撃でした。

私は感情に蓋をして、どうやって人に心を開いていいか、わからないまま大人になりました。

 

人によっては「そんなこと?」って思うようなことかもしれない。もちろんここに書いたことだけではなく、いろんなことがあった上での家族の歴史があります。しかし、母のしたことを事細かに挙げつらうことが目的ではないから、このぐらいにしておきます。

 

ブレイクスルー

20~21歳頃まで激しく母を憎んでいました。母子のコミュニケーションは、ろくにありません。ずっと冷たい関係でした。娘が一切心を開いていないことに、なんの疑問も感じない。母はそういう人です。ある意味では、私よりもひどいコミュ障と言えます。

 

ある日、母とつまらないことで言い争いをして家を出て、カッカしながら大学に向かう途中で天啓が降りてきました。

 「このまま、母を憎み続けても一生幸せにはなれない」

自分のために、母を憎むのをやめようと思いました。

 

憎しみは愛情の裏返しです。愛されたいのに思っていたような愛が得られないときに、人は他者を憎むのではないでしょうか。

私は「母から自分が思うような形で愛されたい」と期待するのを止め、その代わりに、自分なりの形で母に愛情を返してあげようと思った。

 

憎しみを捨ててまっさらな目で母を見れば、私の母は子どものような人でした。

このときから徐々に母子の関係が逆転していったように思います。この人は、娘を愛するより自分がかまって欲しい、愛されたいと思う人なんだ。この人はこの人で、親から思うように愛されなかったことにトラウマを抱えている。そういうことが客観視できるようになりました。

しかし、母とその親との関係を私が代わりに解決してあげることはできません。自分の人生の問題は自分でなんとかするしかない。

 

この時、私はやっと親離れしたと思います。

 

この少し後によしながふみの『愛すべき娘たち』を読んで、ああ、母親に「あるべき姿」みたいな理想を求めるから苦しいんだと徐々に悟っていきました。私だけじゃないんだと思った。

愛すべき娘たち (ジェッツコミックス)

愛すべき娘たち (ジェッツコミックス)

 

この作品は今、苦しんでいる人がいたらぜひ手に取って欲しい。名著だと思います。

 

距離が離れるほどいい関係になれる

26歳の年。プロフィールに書きましたが、弟が事故でひどい障害を負いました。その後、私なりに家族を支え、家族に支えられてやってきたつもりです。

 

家族を捨てて、家を出たのは大きな決断でした。

 

母は未だに精神的なサポートを得ようとして、時々連絡してきます。つまらないことでも私に聞いて欲しいのでしょう。

でも、私にはそんな母が重い。

 

私が一番母親を必要としていた子ども時代に、私は母に受け入れられなかった。(学校であったこと悔しかったこと、話そうとして「そんな話は聞きたくない!」と面と向かって拒絶されたことが何度もあります。)

それなのに、なぜ母は私に受け入れられると期待するのでしょうか?

とりあえず仕事に使うケータイに急用以外で連続でメッセージを送るのは止めて欲しいと伝えました。用件はメールにして欲しいと。そうしたら、手が空いたときにゆっくり読むから。

 

母は、私にとって世界一めんどくさい人です。この人と比べたら、他人はどんなにめんどくさくてもたかが知れている。

しかし、同時に愛すべき人でもあるんです。

 

本当の癒やしに至る道

私は誰かになぐさめて欲しくてこういう話をするのではありません。かわいそうな人と思われ同情されるなんて、まっぴらです。

 

では、なぜ、こういう話をするのかというと、この話を必要としている人がどこかにいると思うから。

同じことで苦しんでいる人が、もしいたら読んで欲しい。あるいは別な経験をした人でも、何か通じ合うものがあるかもしれません。

 

私が苦しいのは究極的には、母のせいではない。

母を完全に許し、受け入れられないことに罪悪感が消せないから。

自分で自分を責め、苛んでいるのです。

私を一番苦しめているのは私……。

 

本当にめんどくさいやつだと、自分のこと、わかっているけど、私はこのままデコボコしたまま生きていくしかないんだろう。

しかし、ここまで客観視できたことで、10代20代よりはずっと楽になりました。

 

私がここまで歩いて来られたのは上野千鶴子さん、信田さよ子さんらの著書を読んで、少しずつこんがらがった糸をほどくように自分自身の問題を理解してきたからです。

はてなブログでも、同じような肉親への葛藤と、「距離が離れるほど楽になる」と書いている人が複数いて、ほっとしました。はじめはそれらの記事に言及リンクしようかと思ったけど、ご迷惑に思われるかもしれないし、ましてや私の話を拡散して欲しいわけでもないからやめておきます。

 

それらの記事を読んで、私は許されたような気がしました。

記事を通じて人から許され、「あなただけじゃないよ」と言ってもらえたことは私にとっては救いだった。

そうして、初めて自分のことを許せるかもしれないと思った。

 

自分を許すというのは理屈ではない、容易いことではありません。

でも、それができたときに初めて、魂からの完全な癒やしが訪れるのかもしれない。

 

デコボコしたままでいいや。めんどくさいやつでいいや。このままの自分を丸ごと認めてやろう。

私は、私を許します。