私は、人の厚意を受け取るのが下手だ。
特に、お祝い事なんかがあった時に「何が欲しい?」と訊かれるのが苦手である。そういうときは、丁重にお礼を申し上げて辞退することにしている。
過去に最も心苦しかったのは20歳の頃。
名古屋のばあさまが「成人のお祝いにネックレスを送りたい」と言ってきたことがある。予算は10万円以内とのことだった。
もしかして、ばあさまはフォーマルに使う真珠のネックレスみたいなものを想定していたのかもしれない。(当時はそんなこと思いつきもしなかったし、どのみち似合いもしなかっただろう。)
電話で意向を伝えられたとき、ガーン!となった。
10万円のネックレスなんてオケージョンがない。欲しいとも思わない。そもそも普段からピアス以外は着けやしない。
「成年女子たるものきちんとした服装をして化粧をして、上等のネックレスを着けて欲しい」というばあさまの言外の期待に応えられないことが心苦しく、電話を切った後で泣いた。ばあさまは、何も価値観を押し付けてきたわけではない。ただ純粋な愛情から「上等のネックレスを贈りたい」と言ってきただけだ。でも私には無理だ、選べないと思った。
その後丁重に辞退申し上げたのだが、ばあさまはそう簡単には引き下がらなかった。
「○○ちゃんが『これが欲しい』っていうようなものが見つかったら言ってちょうだい。おばあちゃんがのうなる前に、いつでもいいから」
3年後、弟が成人したときに同じ話が蒸し返された。弟はパソコンが欲しいと言い出し、私も「パソコンなら欲しい!」と思い直して10万円を受け取った。ばあさまも承知の上だ。そのとき買ったパソコンは5年以上大切に使用した。
20歳の私にネックレスは早すぎたのだ。
今なら、もしかしたら、バロックパールのネックレスなんかを買ってもらうかもしれない。せいぜい、5万位のもの。ばあさまはきっと、孫がどんなに質素な暮らしをしているのか、ご存じなかったんだろう。
そして未だにプレゼントのリクエストを求められると、言葉に詰まってしまう。小さなプレゼントを差し上げるのは好きなんだけどね……。
暗い話になってしまった。もう少し明るい話もあるよ!
名古屋のじいさまは旅行狂いで、方々を旅しては娘や孫たちに必ずお土産をくれた。
ちょっとした小物だとか、民芸品が多かった。孫3人が成人してからはお土産も廃止されたが、最後の方はスカーフだとか身につけるアクセサリーを頂くこともあった。
私は元々名古屋から遠く離れて育っており、社会人になってからはめったにお会いする機会もなかった。
あるとき思い立って一人で遊びに行ったら、じいさまに誘われフレンチレストランで会食をすることになった。出席したのはじいさま、ばあさまと、近所に住む叔母夫婦、それに年下の従妹と私の6人だ。
そんなこともあろうかと、私はじいさんばあさんから贈られた品を持参しており、首元に小さくスカーフを巻いてそこにブローチを留めていった。(普段はスカーフとブローチをダブルで着けたりはしない。)
私の方からは何も言わなかった。
じいさま、ばあさまもたぶん気づいたと思うが、特に話題にはしない。こういうことは暗黙で伝わればいいし、伝わらなくても自己満足でやっているのだからそれでいいのだ。わざわざ話題にして大げさに感謝を伝えるのは、質実剛健な名古屋人の気質に反すると思う。
ところが、従妹が私の服装に目を留めて言った。
「○○ちゃん、そのスカーフとブローチ、おしゃれだね」
間髪入れず、叔母が言った。
「アンタも同じの、持っとるがね!」
「……」
「……!」
そう。お土産を頂くとき、母と叔母は色違いでお揃いの柄のスカーフ、私と従妹は同じブランドのブローチで形が違うもの、というようにお揃いのものを1つずつ頂くのが定番なのだ。(ちなみに楽器をやっているわけでもないのに、なぜトランペットの形のブローチだったのかはわからない。多分あまり意味はないんだと思う。)
従妹が気づかないのに、叔母がいち早く気づいていてピシャリと言ったことが可笑しかった。と同時に、やっぱり気づいても言わないのが我々の流儀なんだな~と知った。
ズケズケと物を言って言葉がキツイのは、母の実家の人たちが皆そうである。包み隠さず本当のことを言うのがこの人たちなりの愛情なんだろう、と思っている。
私はそうした性質を好ましいと感じるが、関東の人とコミュニケーションするには少々問題があるようだ。(言い方がきつ過ぎると思われる。)そういうことを気づくのにも頭がとろいから、いちいち時間がかかってしまった。
私はデコボコしたまま、カッコ悪いまま、矛盾を抱えた私のまんま、このまま生きていくしかない。「それでもOK!」と思えたから、今は20代の頃よりもラクだ。
メリー・クリスマス!
あなたは今年、誰かに贈り物をしましたか。
そして何を受け取ったでしょうか……?