なにか新しいこと日記

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新宿駅のダンジョンを攻略:『新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか』を読んだ

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ジョヴァンナです。こんにちは!

上京して4年。新宿駅を利用するようになってからはさらに数年が経ちます。

主要出口の位置や、乗り入れている私鉄4社の各駅までの行き方はさすがに覚えましたが、平面での位置関係がわかったとして、立体構造までは詳しく把握していません。慣れない場所に行くにはやっぱり駅の案内板が頼りです。

そんな新宿駅の構造をいつか解き明かしたい……と思っていたところ、やっと読むことができました。こちら。

『新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか』

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)

 

 ベストセラーになったのでお読みになった方も多いでしょう。

スマホゲーム『新宿ダンジョン』を開発した上原大介氏と、一級建築士の田村圭介氏の共著で、地図や図解を多用して地理や駅の構造を解説しています。方向オンチの私にもわかりやすく、楽しく読めました。

今日はこの本を読んで面白かった点をご紹介しつつ、実際の写真【14枚】とを合わせてシェアしたいと思います。

 

新宿駅の東西の抜け道は七つある(p109)

JRの線路は南北方向に走り、線路を横断するためには7つのルートが設けられています。

駅ナカルート

  1. 北連絡通路西口・東口
  2. 中央連絡通路中央西口・中央東口

外のルート

  1. 大ガード
  2. 角筈(つのはず)ガード
  3. メトロプロムナード(地下)
  4. 南口跨線橋
  5. 新南口・サザンテラス口ウッドデッキ

 

この中で、私がその存在すら気づいていなかったルートがありました。それが「角筈ガード」です。

よく思い出してみると、東口から線路沿いに北進するとき、大ガードに至るまでのずっと手前に線路方向に入っていく細道があったような……。あそこから線路の下をくぐれるとは知らなかった……! このルートを知らないから、北側から東西へ通り抜けするときはいつも大ガードまで行ってました。

 

あと、メトロプロムナードは東口から丸ノ内線の改札の前を素通りして、紀伊國屋書店や伊勢丹の方までつながっている地下道として認識していましたが、西口まで通じてるとは知らなかった……!

実際に行ってみました。

 

現地紹介:  角筈ガード

角筈ガード(新宿東口)入り口

角筈ガード(新宿東口)入り口

このすぐ手前に大きな喫煙所があって、私にしてみれば息を止めて1秒でも早く通り過ぎたい場所であるわけです。喫煙所ができる前は、辺り一帯が白い壁で囲まれていた記憶がうっすらある。この付近は未だに工事をしており、赤いコーンが並んでいます。

非常に道幅が狭い、天井が低いところを多くの人が行き交っていました。

 

角筈ガード入り口

角筈ガード入り口

新宿西口 思い出横丁

新宿西口 思い出横丁

西口に出ると、そこは路地裏でした。「思い出横丁」を入って行くとこんなショートカットがあるなんて、知らなかった。

続いて西口から地下に潜り、東口までメトロプロムナードを通り抜けしてみました。

現地紹介: メトロプロムナード 

メトロプロムナード(新宿駅地下)

メトロプロムナード(新宿駅地下)

メトロプロムナード(新宿駅地下)

メトロプロムナード(新宿駅地下)

立派な壁のレリーフ。昭和の建築にありがちな景色です。

こちらのブログに詳細が紹介・考察されていました。1961年に山本豊市氏が製作したもので「地下鉄建設の風景ではないか」とのことでした。なるほどね。

街の中の彫刻 42 ( その他芸術、アート ) - 独酌独語 - Yahoo!ブログ
 

この後、丸ノ内線まで到着したらほっとして写真を撮るのを忘れてしまった。紀伊國屋へはしょっちゅう行っているので、おなじみの地下ルートであります。

 

東西に通り抜けできるルートは知っていると便利ですね! (←今更)

本では2020年の完成をめざして工事中の「東西自由通路」についても紹介されていました。駅ナカの北連絡通路の幅を広げて、切符がなくても通り抜けできるようにするらしい。そうなったら便利だけど、さらに複雑化しそうだ。

 

新宿の歴史

街道の歴史についても、コンパクトに説明されており非常に勉強になりました。

宿場町として栄えたのが「追分」だった

「新宿」という名称はそもそも、江戸時代に甲州街道に設けられた「新しい宿場」を意味します。新宿御苑はその昔幕臣・内藤家の大名屋敷で、四谷大木戸から追分までの門前約1kmに渡る街道沿いは宿場町として栄えました。現在、新宿三丁目交差点に「追分だんご本舗」という有名な甘味処があります。ちょうどその辺りがメッカだったそうです。 

追分だんご本舗

追分だんご本舗

追分だんご本舗の名物「田舎小路」

追分だんご本舗の名物「田舎小路」

人が集まる「内藤新宿」には50軒もの妓楼が軒を連ねました。時代が下り、内藤家の広大な敷地が皇室の植物苑となったとき、客人を招くのに体裁が悪いということで宿は新宿二丁目に移転。戦前は「新宿遊郭」として戦後は公認の「赤線」地域として栄え、1956年の売春防止法で「風俗営業」と名前を変えて、新宿二丁目から歌舞伎町の方に場所を移したということです。(P148~156)

 

駅の歴史

山手線の前身である日本鉄道は1885年、現在のルミネエストがある場所に貨物列車の停車場を作りました。内藤新宿からは西に300m離れ、周りには畑しかない場所だったそうです。

その後貨物量・乗降客共に増え、関東大震災で下町が壊滅したことにより郊外に人が流れさらに駅の利用者は急増しました。1925年、鉄筋コンクリート造2階建ての三代目駅舎が完成。これも現在のルミネエストの位置で、アールデコ様式のおしゃれな建物だったようです。

 

坂倉準三の手によるデザイン

建築様式についても、本には若干の説明がありました。西口広場から小田急百貨店、バスターミナルまではル・コルビジェに師事した坂倉準三の設計。また小田急と京王の両百貨店のビルの谷間にあるモザイク通りも、坂倉の建築設計事務所によるものだそうです。(P135)

モザイク通りって昔からなんとなく、好きな場所です。

モザイク通り 入口(新宿西口)

モザイク通り 入口(新宿西口)

モザイク通り(新宿西口)

モザイク通り(新宿西口)

ぱっと見には、モザイク要素が皆無なんだよね……。この階段がなんのためにあるのかも謎です。

モザイク通り(新宿南口)

モザイク通り(新宿南口)

 

この坂道をなぜ「モザイク」と呼ぶのか。長年疑問に思っていましたが、かつては床が5色のタイルを用いてモザイク状に敷き詰められていたそうです。これと同じものが渋谷の東急百貨店南館の1・2階の廊下にあるというので、見に行ってきました。(p130)

東急百貨店(渋谷)南館の入り口 モザイク

東急百貨店(渋谷)南館の入り口 モザイク

東急百貨店(渋谷)西館の入り口 モザイク

東急百貨店(渋谷)西館の入り口 モザイク

ぱっと見では4色のようですね。ハチ公口を出てすぐの西館のエントランスにもモザイクはありました。なかなかレトロで素敵な模様じゃないですか?

坂倉氏の建築と、往時のアール・デコ様式の駅舎については後々調べてみたいところです。

 

私の感想

私が仕事の拠点にしている新宿駅の歴史や地理、駅の立体構造を知ることができて、面白かったです。図解が多くて、わかりやすかった!

江戸五街道から地理を紐解いていくのは新鮮な視点でした。先日購入した『大江戸鳥瞰図』と、地図とを見比べながら読んでいきました。 

大江戸鳥瞰図

大江戸鳥瞰図

 

情けないことに、地理には本当に疎い。好きで都内に住んで仕事しているのだから、地図を見ながらもっと歩いて、この土地のことを知りたいと思いました。

渋谷、池袋もよくわからないから続編を出してくれないかな……。 

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)