緊急事態宣言発出を受け、1月の売上は悲惨であった。12月より悪くなるなんて想像もしなかった私は、なんて甘かったのだろう……。
クリスマスから年末年始にかけては人が集まる機会が多く、家庭内感染が広がったと言われている。
緊急事態も2度目ともなるとあきらめが早い。「また縫い物でもして質素に暮らせばいいか……」と淡々と趣味に打ち込んでいた。祖母から受け継いだミシンを使い、1月からミシンの練習を始めた。はじめはインナーやパジャマなど家で着るものを作り、そのうちにスカートやブラウスなど外で着るものも縫った。
本業の収入は減ったものの、メルカリの売上や楽天のポイントをため込んでいたのを趣味にまわして資料や材料を購った。
紳士服のテーラーとして有名な服部晋先生のブログを深夜にチビチビと読んだ。
服部 晋の「仕立屋日記」
全て読んでしまうと、次は著書『服部晋の「洋服の話」 (ラピタ・ブックス)』を購入して読んだ。
気の赴くままに季節に応じた服を作るのも楽しいが、わが国の礼服・背広のルーツを知り、本物のテーラーの技術を知ることもまたおもしろい。自分用に本格的なジャケットやパンツを仕立ててみたくなった。まだ実行に移していないが、型紙を取り寄せて写したり、生地について下調べをしている段階だ。
実家の母は、持病のためにこの頃補聴器をつけるようになった。
「最近どう?」と電話すると、引きこもって鬱々としているという。
気晴らしのため母を誘って日暮里に遊びに行った。折しもベビーロック社のスタジオがオープンした初日で、2人で工房を見学した。
その後、ロックミシンへの興味が抑えられず、基礎講座を受講しに再度日暮里を訪れた。ちょうど『ソーイング・ビー』でもニットの課題を扱っていたところだ。ロックミシンへの理解が深まると、番組を見ているだけでもますます楽しい。
このように1〜2月は趣味のソーイングに打ち込んでいた。
一時中断していたパズルゲームも懲りずにまた手を出してしまい、睡眠障害は悪化の一途をたどっている。
9月頃から服用していた漢方をしばらくやめたら体調も悪く、2月中旬に再開した。(今度は同じ薬でクラシエの安い錠剤を選んだ。)
耳鼻科でもらう抗アレルギー剤と舌下錠は丸1年続けている。
ダニアレルギーはおさまっているようだが、このほどスギ花粉シーズン到来。そこそこ調子が悪い。これまで春に不調を感じることがなかったのは単に年中調子が悪いので自覚していなかっただけとわかった。
なぜダニの舌下錠を始めた後、間髪入れず、スギも始めなかったのか。オンシーズンにはできないため、スギの治療は5月の連休明けまで待たねばならない。丸1年遅れてしまったことを絶賛後悔している。
1月の終わりには陽性者が減り始め、それに伴って少しずつ売上も戻り始めた。
既存顧客と新規顧客の割合が今や逆転した。それに伴い営業方法もかなり変えている。
どこにも書かなかったが、1月の初旬にひどいクレーマー顧客に当たってしまい、ずーんと落ち込んだ。その人が特別に変だったのだが。変な顧客に当たったときのリスク回避が不十分であったのを反省して、新規の案内方法を工夫するようになった。
遡ること11月。同業者の二谷さん(仮)と意見交換した際に、有益な情報を得た。
彼女は「私は〇〇が得意だから、ほんとは〇〇しかやりたくないのよね」と言う。
「それなら、最初からホームページに書いておいた方がいいですよ。われわれのようなスキマ産業は自分の強みを打ち出して他社と差別化した方が顧客にとっても親切だし、お互いに『こんなはずじゃなかった』というミスマッチも避けられる」
そう言いながら、自分には二谷さんと逆方面のスキルがあるのだから、その旨書いておいた方がいいなーと思った。それで早速トップ画面とプロフィールに手を加え、自分の得意スキルについて詳しく書いた。
繁忙期にはホームページは放置しているので、こういうときが更新のチャンスである。ちょこちょこ手を入れてみると効果があったらしい。現在問い合わせは徐々に増えている。
そんなことをやって、少しずつ売上が戻ってくる兆しを見たのがやっと2月の終わり。
内心ではずっと怒っていた。
飲食店以外の業種はなんの手当もないまま2か月が経ち「気を緩めずに、どうかステイホーム! 続けてください」とは、ひどい話だ。
みんながステイホームした結果として、私の生活は苦しくなっている。特に一昨年の収入に対し課せられた住民税、国民健康保険が重い。
税制上の今年度が終わるまで……あともう少しの辛抱だ。