名古屋の祖母が90歳になった。
祖母は10年前に転んで大腿骨を折ったのが元で認知症になり、有料老人ホームで手厚く介護されて暮らしている。
たまに会いに行って話しかけるのだが、こちらの問いかけに対して答えが返ってくるかこないかがせいぜいで会話というほどの会話ができないことがほとんどだった。
ところが、2024年12月に会いに行ったら、たまたま調子が良く、久しぶりにたくさん会話することができた。
現在、施設ではなんの制限もなく面会者は受付を済ませた後、個室に立ち入ることができる。
部屋に入り、ベッドにいる祖母へ「おばあちゃん、会いにきました。ジョヴァンナですよ」と声をかけたら、「ジョヴァンナちゃん」と言ってうれしそうな顔をした。(前に来たときは、ここまではっきりと私のことを認識していなかった)
われわれが行く前に叔母が来て、「12月にジョヴァンナちゃんが来るよ」と何度か声をかけたらしいので、そのおかげだろう。
祖母はタンスの上を指さし、「あの上に袋があるでしょう。袋の中に人がいるよ」と胡乱なことを言い出した。
「おばあちゃん、あの中はお布団が入ってるだけだから、人はいませんよ」
すると今度は窓の外を指して「向かいのビルが交通局だから、3階に交通局のおじさんがいる」という。
交通局のおじさんというのは、祖母の兄で50代のころに亡くなった人だ。
「へー、交通局のおじさんがいるの?」
「3階にいると思う。そこにいなかったら家にいる。おじさんがいるから、私もあっちに行きたい」
「そうですか、それじゃあ行きましょう」といってスタッフを呼び、車椅子に祖母を乗せてもらって、1階のラウンジに移動した。
施設の風景
この日はたまたま訪問美容の日で、ラウンジは大勢のおばあさんたちでごった返していた。認知症が重い人は自発的に出てこないだろうから、ラウンジにいるのは頭が元気な人ばかりだ。おばあさん同士、おしゃべりに花が咲いていた。
祖母も認知症でなければ、ここで楽しく社交できたんだと思うけど……。
入居者は圧倒的に女性が多く、男性の姿はほとんど見かけることはなかった。この日見たのはラウンジで黙って新聞を読んでいるおじいさん、一人だけ。
テーブルにいる二人のおばあさんに向かって、祖母は「ここにいるのは〇〇の一族だよ」と言った。〇〇というのは祖母の旧姓で、私と母をさして、一族の者が面会に来たのだと言いたかったようだ。
二人のおばあさんは気まずそうに笑みを浮かべた。元気な人同士は普段から交流があるけれど、認知症の人はそうじゃない。群れから外れた存在なんだと感じた。
おばあちゃんにまんじゅうを渡したら、少しずつ、かじって食べていた。コーヒーはとろみをつけてもらったのを少しずつ勧めた。
戦災孤児だったトシちゃんの話
この日、祖母は小学校からの同級生だというトシコさんの話をよくした。
トシコさんは戦災孤児で、祖母の近所のこどものいない夫婦に育てられた人だ。6年養ってもらっただけで、その後、何十年と長生きした養父母の世話をして恩返ししたことで近所でも有名だったらしい。長年の介護の苦労がたたり、本人は随分早くに亡くなったと母が解説した。

トシコさんは貧しい養父母の元で贅沢を知らずに育った。
「こどもがいないから、老後の世話をしてもらおうと思って養子をもらったんじゃないの」と母はいう。それでも貰われなかったら、そのへんでのたれ死んでいたかもしれないし、売られていたかもしれない。売られるよりは良かったと感謝してトシコさんは養父母に尽くしたんじゃないかという話になった。
祖母「だもんでねえ、ちょっと贅沢なものを買うと、親が『トシちゃんを見てみやあ』と言うんだわ」
私「はははは」
母「ハツさん(=祖母の母)が言いそうなことだね」
ばあさまの話は主語がなかったり、不明瞭だったりするのでわからんところもあるが、前後の脈絡からすればこういうことだ。
祖母のじいさまは離婚して、再婚相手が芸者だったそうで、その芸者のばあさんが芸者をやめた後「一文菓子屋(駄菓子屋)」をやっていて、「一文菓子屋」に映画館の人がポスターを貼りにくると、貼らせてもらうお礼に映画の鑑賞券を置いていったらしい。
祖母「そんでねえ、タダの券をもらってねえ、トシちゃんと映画見に行った」
私「どんな映画を見たの?」
首を振る。(=思い出せない)
私「トシちゃんは映画も見たことなければ、お菓子も食べたことがない。そういう人を誘って映画に連れていってあげたんだから、おばあちゃん、いいことしたねえ」
母「日本が今よりずっと貧しかったころの話だわ」
祖母「おばあちゃん(=祖母の母)は大地主の長女でね、学校へ行くまで……他人の土地を踏まなかったんだよ」
母「学校に行くまでの土地が全部自分の親の敷地だったってことね。そんな話、初めて聞いたけど……」
祖母の話はどうやら、母を起点としているようで、「おばあちゃん」というのは母にとってのおばあさん。祖母にとっては母親のことだ。
私「ハツさんは地主の娘だったんだ。だから土地を持ってたのか」
母「いくつか持ってたね」
私「でも大地主の娘ならもっとたくさん土地があったはずだから、だれかほかに男の兄弟がいて、そっちが相続したってことだね」
祖母「そのおばあさんが菓子屋をやっとって、そこへ映画館のビラを貼りにきて、券を置いてくわけ」
ここの脈絡がちょっと飛んでいるが、駄菓子屋をやっていたのはハツさんではなく、ハツさんの父親の後妻だと思う。この少し前に後妻の芸者さんの話をしていたから、そこにつながっているようだ。
祖母「おとうさんとは映画を見に行ったことはないよ」
私「ああ、そうなの?」
母「おとうさんは親戚のおじさんが映画の配給会社をやっていたから、こどもの頃からタダ券をもらって、貧乏人のこどもなのに映画をよく見に行ってたんだよね」
私「だから、おじいちゃんは人と違う発想ができたのかもしれないね。こどもの頃から外国の映画も観てたし、親戚に成功しているおじさんがいたから、自分も普通の働き方をしてたらだめだと思って起業したんじゃないの」
祖母「『ローマの休日』ゆう映画があったでしょう。あれもタダ。……チケット売り場に立っとるのが自分の妹なんだわ」
私「だれの妹? トシコさんの妹さんってこと?」
祖母「うん」
母「どういうこと? トシちゃんと見に行ったのが『ローマの休日』だったの」
祖母「ローマも見たしよう、見たのは一つじゃないでしょう。あっちにもこっちにも……」
この辺は事実かどうかあやしい感じがするが、祖母が言うには、トシコさんと映画を見に行った劇場で、働いていたのがトシコさんの妹だった。トシコさんには弟妹が何人もいて、みんな散り散りになって貰われていった中の一人が映画館で働いていたということらしい。もしくは、この話には主語がないからトシコさんじゃなくて、他の友だちのエピソードが混ざってるのかも。
祖母「ローマの休日なんかね、ダーっと長く行列してたよ」
母「そういえば、おかあさんがパラソルをさして立ってる写真とか、オードリー・ヘプバーンを意識してる感じだよね」
私「ああ、そうかもしれない。ちょうど1950年代、あの年代だね」
母「フレンチ袖でスカートがフレアで……」

さっき「トシコさんとどんな映画を見たのか」と訊いても、わからないと首を振っていたのに、5分くらい経っていろんな話をしているうちに思い出して『ローマの休日』のエピソードが出てきた。
『ローマの休日』は日本では1954年の公開、祖母がちょうど20歳のときの映画だ。
結婚前の独身時代には友だちと映画見に行ったりして、楽しくやっていたらしい。ほほえましいエピソードだった。
認知症の人と話すコツ
祖母は、一つ話すにも時間がかかってゆっくりゆっくり思い出しながら話すので、母は途中で気が逸れて、オードリー・ヘプバーンは何年生まれだとか、じいさまの実家の母親がああだこうだとか、すぐに別の話を始めてしまい、祖母の話が中断することが多かった。
それでも話があっち行ったり、こっち行ったりしながら、ばあさまの友だちの話や、私の知らないひいおばあさん(ハツさん)の話が聞けてよかった。
認知症の人と会話するにはコツがいる。
ベッドに横になっていたときはせん妄状態だったのか胡乱なことを言っていたが、起こしてラウンジに連れて行ったら、もうおかしなことは言わなかった。
夜中にベッドの柵を乗り越えて何度か床に落ちていたというのも、たぶんせん妄のせいだろう。交通局に勤めていた兄が隣のビルにいると思って、夜中に会いに行こうとしたんじゃないかな。
死んだ人も生きている人もごちゃまぜになった時間軸を祖母は生きている。
私としてはその世界を否定しないほうがいいと思い、適当に話をつなげて話を引き出すようにしたのだが、メインでお世話をしている叔母は別の意見だ。じいさまは死んだし、自宅はもう売りに出して、そのうちに別の人が住むのだと事実を告げるほうがよいという考えだ。どっちがいいのかは、わからない。
叔母の連れ合いが読んだという『認知症世界の歩き方』を、私も読んでみようと思う。
後日談
祖母がケガをしてから初めてあんなに長く会話することができて、うれしかった。
調子にのって、次の日も母と行ってみたが、その日は歯科衛生士らしき人から口腔ケアを受けている最中で、たぶん1時間ぐらいずーっと口を開けっぱなしにした後だから、疲れたみたいでうとうとしていた。
それでも、私たちがいると一所懸命起きていようとしてくれていたので、疲れさせないよう、挨拶だけして帰ってきた。
数日後、叔母が面会に行ったら、祖母は「ジョヴァンナちゃんは連れ合いを連れてこなかった」と言っていたらしい。去年連れて行ったえむさんのこと、まさか、覚えていてくれたなんて……。うれしい驚きだ。
(たぶん、叔母さんがしつこく「ジョヴァンナはえむさんと暮らしとる」と刷り込んだに違いない)
認知症の人は調子のいいときと悪いときの差が激しい。あんなに会話ができたのは奇跡みたいなもんで、わざわざ遠くから会いに行っても話が弾まないことも多いが、あきらめずに行って話しかけようと思う。1日目に調子が悪くても、2日目は調子がいいかもしれないし。日頃の体のケアとかルーティンが前後に入ってくるのでそういったこともコンディションに影響しそうだ。