なにか新しいこと日記

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「ブスは控えめにしていろ」という心の声

「ブスはひかえめにしていろよ」という心の声が時々聞こえる。

普段「ルッキズムっていやだな。人の容姿を品評してああだこうだ言うのは好かない」と思っているつもりでも、心の深いところに偏見が根ざしていて逃れがたい。

SNSでわざとブサイクなアイコンを使用した時にそのことを自覚した。知らず知らずのうちに発言が控えめになったり。逆に露悪してみたり。そんなのって全然自由じゃない。

 

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私は過去に何度か恋人のことをブログに書いているが、本人が望まないと思い、さらっとしか書かなかった。ある友人は評して「まるでモノみたいに無味乾燥に扱っている」と言った。

うーん。だって、自分の知らないところで好き勝手に書かれていたらイヤじゃない? このブログは「自分の思い」を書くための場所だし……。それに私のノロケなんてみっともない、誰も読みたくないでしょ。

そう思うのも何割かはルッキズムからかもしれない。

「美人でもないのに、あの女、彼氏とベタベタしやがって気色悪い」なんて、言われたくないわけで。誰がそんなことズケズケ言ってくるのかというと、他ならぬ自分の心の声なのだ。人にはそんな無礼なこと口が裂けても言わないし、思ったりもしないのに、なぜか自分で自分を強く規制している。

 

すこし前には、こんなツイートを見かけた。

フィンランドで気づいたのは、誰も望んでいないところで突然見た目を褒めることは相手を一方的にジャッジすることになり失礼にあたるということ。

https://twitter.com/minotonefinland/status/1006088348669239298

Beautifulって書いたらそういうことは表明するものではない(心の中だけにとどめておきなさい)と指摘されたことがあります。それも一人だけでなく。

https://twitter.com/YUMIClarinet/status/1006176918356422656

このツリーを読んだら、なるほどーと思わされた。外見に限らず他人を一方的にジャッジして評価するのは行儀のいいことじゃない。

このことは、あとでよくよく検討してみたい。もっと自由になれるヒントがどこかにありそうな気がする。

 

世界には多種多様の美しさがある。それは心の裡で感じるか、アートで表現すべきもの。限定された言葉の世界に閉じ込めてしまうのはもったいない、かもしれない。