なにか新しいこと日記

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肺がん患者・家族の記録《その3》手術の立ち会い

前回までの話

something-new.hatenablog.com

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当日朝

9月某日。6:22の電車で出発した。車内がやたらと寒く感じた。
8:10頃駅に着いた。駅でパンを買い、熱いコーヒーを飲んだ。
8:40病院に到着。受付で面会証をもらい病棟へ向かった。原則面会は禁じられているため見舞客の姿はない。

「9:00に来てください」と言われていたが手術は9:30からだという。
そりゃそうだ。立ち会いの家族が来ていないから手術が始められない、なんてことがあったら問題だ。こちらもそのつもりで早めに来ている。

 

誰もいない食堂で待った。

しばらくすると担当ナース・Sさんが来て「5分前にナースステーションの側の長椅子のところに来てください」と言われた。
定刻通りナースと母がやって来てセキュリティボックスの鍵を渡された。手術が終わるまでこれを預かってほしいそうだ。ふーん。

手術室の近くまで歩いていく。手術室は意外にもナースステーションから遠くない位置にあった。間に自動扉を挟み、その先は別棟になっているように見える。
「ご家族の方は食堂でお待ちください」
「わかりました」
これから全身麻酔だと思うと急に心細くなった。

手術中

他に待っている人はいない。
ヒマなので持ってきたiPadを読んだり、関係のないブログ記事を書いたりして過ごした。することがないと不安に陥るため、なにか別のことをしていた方がよい。

 

12時過ぎ。なんの知らせもない。とうに検査を終え手術が続行されているのだろう。

トイレに行き、食堂でサンドイッチを食べた。前日買って持参したものだ。朝駅でパンを買ったので余っていた。

売店や、近くにコンビニもあるが、5分以上席を外したくない。昼食はこれで十分だ。たいして食欲もなかった。

 

コロナ禍により、手術の立ち会いは1名に限定されている。仕事中の父には何度か報告を入れた。

いつのまにか手術待ちの患者家族が来て、近くで待機していた。何時に始まるかもわからない手術を1人で待っているらしい。後から「14時前後に始まります」と知らされていた。
その後もポツポツと患者家族が見えた。
私の母は朝一のため、待ち時間が少なくて助かった。

院内の様子

食堂といってもパジャマ姿の患者が時々ふらっと現れるぐらいで、ほとんどの時間は静かだった。
感染防止のため食事は部屋食が徹底されているのだろう。もちろん、見舞客もいない。

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イメージ

週末の病棟は閑散としていたと聞く。この辺りの病院は田植えと稲刈りの時期はヒマなのだ。

大体週の始めに入院して週の真ん中に手術をする人が多い。
母の場合、空いているところに急遽ねじ込んでもらったために金曜入院・月曜手術というスケジュールになったのだろうか。平時なら土日は家に帰れたのかもしれないが、入院時にPCR検査を受けており外出することはできない。

 

手術前は4人部屋も比較的空いていると話していた。それでも「1人うるさい人がいて話し出すと、もう寝ていられない」と。
元々神経質なたちなのだ。
術後1日はナースステーションに近い部屋で経過観察される。

その後個室に移ることを自分で決めており、よい選択だったと思う。術後の体調で他人に気をつかうのはしんどいだろう。

 

入院の日、叔母から電話があったそうだ。病気のことはおくびにも出さず、世間話でお茶を濁したとか。
予想通りだ。きっと叔母は電話してくるだろうと思った。

手術後:医師からの説明

5時間ほどかかると聞いていた。まさに14:30ころ、スタッフが呼びに来て回復室に通された。手術直後の患者を入れる大部屋で、ベッドの間は淡いピンクのカーテンで仕切られている。
病棟のナースステーションとは別にここにもナースステーションがあり、集中管理されているようだ。ガラス越しに中の薬品棚が見えるのが調剤薬局みたいだった。

 

小部屋で担当医のH先生が待っており、私1人で説明を受けた。

迅速検査の結果、やはりがんだった。
事前に聞いていた通りの順調な手術だったようだ。「ドレンから出る液もきれいなので順調にいけば週末にも退院できるでしょう」と言われた。

手術で取ったものは患部を洗った洗浄液まで全てを10日〜2週間かけて調べ、病気がどの程度悪質なものか診断される。

「先生、ありがとうございました」

深々と頭を下げた。

短い対面

その後しばらく処置が行われ、意外なことに面会が許された。
人工呼吸器を付けた母は顔が顔色が悪く、しおれていた。
麻酔が切れて、痛い、痛いと言っていた。
「おつかれさまでした。無事終わったよ」と声をかけた。
「がんだったの?」
「がんだったよ」

感染予防のため、私が安易に手を貸すわけにいかない。ベッドから距離を保ち、じっと看護される様子を見守った。
鎮痛剤を2種類入れてもらい、体勢がつらいというのでナース2人がかりでクッションを入れてもらい横向きにしてもらった。
切られた部分が痛むのだろうし、腰もつらいだろう。小さな声でずっと「暑い」と「痛い」と言っていた。

痛みのため、痰も出にくいようだ。苦しい息でゴフッと咳き込むたび、ドレンを赤いものがドッドと伝うのが痛々しい。

15:45〜15:15頃までベッドの側に滞在して「そろそろお帰りください」と言われた。

2時間かけて帰宅した。

帰宅後

父宛に「終わりました。帰ります」とメッセージした後、バスを待つ間に詳しい報告を入れた。
その後、仕事は終わったはずなのにちっとも既読がつかないので電話した。数回のコールで父が出てほっとした。「H先生から聞いた内容をメールしたので読んでおいてください」と伝えた。

父母が2人で生活している場合には心配いらないが、父1人になると動揺して変なことをしているのではないかと不安がよぎる。しかし、余計なことは言わず「おつかれさまでした」と言って電話を切った。